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西芳寺(苔寺)

 「西芳寺」が正式の名称であるが、一般には「苔寺」といわれており、こちらの通称名のほうがはるかにポピュラーである。

西芳寺へのアクセス

 阪急京都線桂駅で嵐山線に乗り換え、上桂駅で下車し西へ徒歩約15分。松尾駅で下車した場合は西南の方向へ徒歩約15分。バスを利用する場合は、JR京都駅又は京阪三条から苔寺行きに乗り苔寺下車。
朱印
西芳寺の縁起

 西芳寺は行基が天平年間、今から約1250年前に開山し、後に、暦応2年(1339年)に夢窓疎石(夢窓国師)が中興、庭を造り、臨済宗の西芳寺としたといわれている。

 当時は本堂の西来堂をはじめ、瑠璃殿など多くの建物が山の上から下まで建ち並んでいたらしい。足利義満は西芳寺の瑠璃殿を模して金閣を、また、足利義政は銀閣を建てたことはよく知られている。

 当時は現在のような苔は生えていなかったが、庭園の美しさは広く知られていたようで、義政は東山山荘の作庭に際し、西芳寺の庭園を模したとされている。

 その後、応仁の乱で殆ど全ての建物は焼失し、西芳寺は荒れ果てたが、後に、蓮如が庭園の復興につとめたといわれている。

西芳寺の拝観

 西芳寺を拝観するためには、前もって往復葉書で拝観日を予約しなければならない。若干面倒であるが庭園の苔の保護のため、無制限に人を入れたくないということと推察され、やむを得ない措置かもしれない。それからもう一つ特記すべきは、高額な拝観料(志穂料)である。

 西芳寺を訪れると、最初に目につくのは総門であるが、ここは通常開けられることはないようである。
衆妙門と本堂
 総門の西側に衆妙門があり(左の写真)、ここが入り口になる。写真で門の左手に白く写っている屋根の建物が、本堂の西来堂で、昭和44年(1969年)に、五百年ぶりに再建された。本堂には堂本印象の襖絵が描かれている。

 西芳寺の拝観に際し、先ず、本堂で行われる宗教行事、例えば般若心経の写経を行う。写経し終わると願い事を書き、本尊の前に奉納する。

 この宗教行事が終わると庭園の拝観ができる。

 さすがに、無制限に観光客を入れていないだけあって、修学旅行生などは訪れることはなく、少数の参拝客が静かに庭園をまわっており、ゆっくりと、落ち着いて鑑賞することが出来る。
池泉廻遊式庭園
庭園

 「庭園」は国史跡・国特別名勝に指定されており、下段の心字池を中心とし、四つの島で形成されている池泉廻遊式の庭園と、上段の枯山水の庭園の二つに分かれている。

 下段の庭園は三枚の写真にあるように通路以外は苔がびっしりと生えており、庭園といっても苔ばかりが目立ち、あたかも緑の絨毯を敷いたようである。
池泉廻遊式庭園
 参拝者は庭園を見るのではなく、苔を見に来ているといっても言い過ぎではないだろう。

 西芳寺が苔寺といわれるようになった由縁は、この庭園にあるものと思われるが、作庭当時は苔が生えていなかったという。

 庭園は近世になって苔に覆われ始めたといわれている。この庭園の温度、湿度などが苔の生育に適していたためであろう。
池泉廻遊式庭園
 左の写真にあるように、苔が木にまとわりついているのをあちこちに見ることの出来るのが印象的である。

 苔の種類は百二十種余りあるといわれているが、苔を一つ一つ観察しその種類を調べていくような分析的な気持ちにはならない。苔は池、木立と一体となり、池の周囲を巡ると趣が色々と変化し、独特の雰囲気を出している。幽玄の世界というのはこのような雰囲気を言うのであろうか(これは間違っているかもしれない)。

 シシおどしの「コーン」という音が聞こえてくるが、今や世俗的になってしまったこのような音を聞かせるのは如何なものか。

 下段の池泉廻遊式庭園に比べ、上段の枯山水庭園は狭い。枯山水石組、須弥岩組、座禅石など石と木立による庭園であるが、下段の一面の苔で覆われた庭園からすれば、知名度も少なく、人気も少ないようである。
湘南亭茶室
湘南亭茶室

 池泉廻遊式庭園の南側、総門近くに国指定重要文化財の「湘南亭茶室」が建っている(左の写真)。

 創建時代の建物で残っているのはこの湘南亭だけであるといわれており、千利久の次男である千少庵が再建し、茶室としたとされている。湘南亭は西芳寺で最も古い建物であろう。

 なお、幕末に岩倉具視がここに潜伏していたことがあるという。
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Yukiyoshi Morimoto