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清水寺

所在地及びアクセス

 京都市東山区清水一丁目
清水寺所在地図
 JR「京都」駅から京都市バス[206]系統(東山通・北大路バスターミナル行き)又は[100]系統([急行]清水寺・祇園・銀閣寺行き)に乗車し、「五条坂」で下車。五条通(五条坂)を上り東の方向へ徒歩約15分。
 阪急京都線「河原町」駅から京都市バス[207]系統(祇園・九条車庫行)に乗車し、「五条坂」又は「清水道」で下車。東の方向へ徒歩約15分。
 京阪電車「五条」駅で下車、地上に出て、国道1号線(五条通)を東の方向へ進み、東山五条交差点を北の方向に曲がり、五条通(五条坂)を上がる。駅から徒歩約25分。

 寺院の多い京都の中でも清水寺は最も有名な寺の一つで、観光客も非常に多い。観光バス、自家用車、タクシーや人々で混み合った五条通(五条坂)を上がり、松原通との合流点を過ぎると通りはビッシリと土産物屋が軒を連ねている。人通りが多く余程のオフシーズンでもない限り混雑で歩行困難な状況になることも多い。

縁起
朱印
 大和の国の僧、延鎮上人が夢に見た観音のお告げにより、音羽の滝を探し当て、宝亀9年(778年)に開山したのが清水寺の創始と伝えられている。延暦17年(798年)のある日、延鎮は猟をしていた坂上田村麻呂に出会うが、その時、延鎮は彼に殺生を戒めた。それを契機として坂上田村麻呂は延鎮に帰依し、仏殿を建立、寄進したという。

 上記の縁起は伝説的であり、創始に関して他にいろいろな説があるが、清水寺は坂上田村麻呂の創建によるというのが一般的のようである。

 延暦24年(805年)に坂上田村麻呂は寺地を賜り、私費で仏殿を建立し寺域を整えたとされ、後、弘仁元年(810年)には嵯峨天皇の勅願を得て国家鎮護の道場になったといわれている。

 清水寺は奈良の興福寺の系列に属していたため、比叡山との対立により、焼き討ちにあうなど数重なる戦火、火災に遭遇したらしい。特に寛永6年(1629年)には、仁王門以外の堂宇は殆ど焼失したといわれ、その後再建し現在に至っているようである。

仁王門(山門)
仁王門
 土産物屋が軒を連ねている道を上りきると、正面に「仁王門(山門)」(左の写真)が見える。西に面して建てられているこの門は清水寺の正門に当たる。

 著名な寺にふさわしい立派な門であり、門の両脇に安置されている仁王像は鎌倉時代の作で、京都では最大級の像といわれている。

 「仁王門」は室町時代の建築であるが応仁の乱で焼失し、15世紀末に再建された。現存の門は見た目に新しいが、これは平成15年(2003年)に解体修理が完了しているためでる。何れにしてもこの門は室町時代の建築の特徴をよく表している。門の軒下に掲げられている「清水寺」の額は平安時代の書家、藤原行成の筆と伝えられている。

 「仁王門」重要文化財に指定されている。

西門
西門
 「仁王門」の右手奥(東南側)に八脚門の「西門」(左の写真)が建てられている。

 現存の「西門」は寛永8年(1631年)に再建されたものといわれている。塗装復元工事が平成5年(1993年)に完了したようで、朱塗り、文様が鮮やかである。

 この門から見る夕日は素晴らしく、あたかも西方極楽浄土を見ているようであるとされ、かつては拝所だったものと考えられている。また、この門は勅使門として使われたこともあるという。

 「西門」重要文化財に指定されている。

三重塔及び経堂
三重塔
 「西門」の奥(東側)に「三重塔」(左の写真)が建てられている。

 「三重塔」は承和14年(847年)に嵯峨天皇の皇子の誕生にあたり創建されたと伝えられている。現存の塔は寛永9年(1632年)に再建されたものといわれている。塔は昭和62年(1987年)に解体修理されているようで、この修理で彩色、各種文様などは寛永の再建時の姿に復元されたという。

 塔の一層内陣中央には大日如来坐像が安置され、四面天井などには仏画、文様が極彩色に描かれているらしいが、通常は開扉されておらず、直接拝観することはできない。

 「三重塔」重要文化財に指定されている。
経堂
 「三重塔」の更に東側には朱塗りも鮮やかな「経堂」(左の写真)が建てられている。

 「経堂」は寛永10年(1633年)に再建されたもので、平成12年(2000年)に解体修理の落慶が行われている。

 もとは講堂であり、正面に釈迦三尊像が祀られている。ここには、その名の通り仏教の一切経が所蔵されている。

 「経堂」重要文化財に指定されている。

 田村堂(開山堂)
田村堂
 「経堂」の東側、「本堂」の手前に「田村堂(開山堂)」(左の写真)が建てられている。

 「田村堂」には清水寺の開山に関係のある坂上田村麻呂、延鎮、行叡の像が安置されているようであるが、通常は公開されていない。

 この建物は寛永10年(1633年)の再建といわれているが、写真でもわかるように彩色が鮮やかで、最近解体修理が行われた。

 「田村堂」重要文化財に指定されている。

轟門と本堂
轟門
 「田村堂」の東側に『普門閣』の額がかかった「轟門(とどろきもん)(左の写真)がある。

この門は本堂への中門で、寛永8〜10年(1631〜33年)に再建されたといわれ、持国天と広目天が安置されている八脚門である。この門をくぐって奥に進み廻廊を通って本堂に向かう。


 「轟門」重要文化財に指定されている。

 「中門(轟門)」をくぐり廻廊を通ると「本堂」の舞台横に出る。「本堂」は懸造り(舞台造り)で有名である。直下の写真は「奥の院」(後述)の舞台から見た「本堂」である。
本堂(1)
本堂(2)
 左の写真は子安塔(後述)の近くから見た「本堂」で、この場所から「本堂」の舞台造りが遠望できる。

 現存の本堂は寛永10年(1633年)に徳川家光の援助により再建されたものといわれており、舞台組みは再建時のままという。

 清水寺の舞台は本来、本堂に祀られている本尊に舞楽を奉納する場所で、現在でも重要な法要には舞楽、芸能など奉納しているといわれており、名実共に舞台である。舞台の両端袖に翼廊があるが、これは楽舎である。
本堂内部
 「本堂」の中(左の写真)は雑然とした舞台とは異なり、静かで厳粛である。堂内は大きな柱で内陣と外陣が区分されている。

 本尊「十一面千手観世音菩薩立像」は本堂内陣の中にある中央の厨子内に安置されている。仏像の42臂(手)の内2本が頭上で組まれており、普通見られる千手観音像とは異なっている。本尊は秘仏であるが、33年ごとに開扉されるようで、平成12年(2000年)はこの年にあたり、3月3日〜12月3日の間公開され、直近から拝観することができた。


 「本堂」国宝に、本尊「十一面千手観世音菩薩立像」重要文化財に指定されている。

釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院
釈迦堂
 本堂の東側に「釈迦堂」、「阿弥陀堂」、「奥の院」の各建物が並んでいる。

 左の写真は「釈迦堂」である。寛永8年(1631年)に再建されたといわれているが、昭和47年に豪雨の被害に遭い、昭和50年(1975年)に復旧され現在に至っている。

 「釈迦堂」重要文化財に指定されている。
阿弥陀堂と奥の院
 左の写真は本堂の舞台から「阿弥陀堂」(写真左側の建物)と「奥の院」(写真右側の建物)を見たものである。

 「阿弥陀堂」は寛永8〜10年(1631〜33年)に再建されたといわれており、内陣に阿弥陀如来坐像が安置されている。また、法然上人が日本で最初に常行念仏を修行したのがこの阿弥陀堂であるという。
奥の院近景
 「奥の院」は寛永10年(1633年)の再建とされ、「本堂」と同様、舞台造りである。左の写真は「奥の院」の外陣近景で、写真右側奥の内陣に安置されている本尊は千手観音である。「奥の院」は「音羽の滝」(後述)の真上に建てられており、行叡居士と延鎮上人の旧草庵跡と伝えられ、由緒ある場所とされている。

 奥の院という言葉からは、本堂などからかなり離れた場所にある建物を想像するが、ここでは他の堂宇と近接している。この点、他の寺院とは一寸異なった形になっている。

 「阿弥陀堂」、「奥の院」は共に重要文化財に指定されている。

音羽の滝
音羽の滝
 奥の院の崖下に「音羽の滝」(左の写真)がある。滝というと豪快な落水を想像するが、写真のように三つの樋からチョロチョロと水が流れ落ちているにすぎない。

 効能効果はどこにも表示されていないが、この水は昔から黄金水とか延命水などと呼ばれている霊水で諸病に効果があるといわれており、この場で水を飲む人も多いようで、中には持ち帰る人もいるらしい。

 しかしながら、諸病に効果がある水というのは常識的に考えてもあり得ないことであろう。それよりも、霊水といえども生水である。これを飲んでも衛生上、問題はないのだろうか、ということが気になる。

 「音羽の滝」の背後上部に祠があるが、ここには不動明王、行叡居士が祀られている。

子安塔
子安塔
 本堂の南、約200m離れた場所に三重の塔、「子安塔」が建っている(左の写真)。

 「子安塔」は坂上田村麻呂の娘春子が皇子葛井親王の誕生を祝って建てたと伝えられている。また、光明皇后が祈願して孝謙天皇を安産したという霊験が言い伝えられている。

 「子安塔」は寛永年間に再建されたものといわれており、古色蒼然とした三重の塔である。それだけに、独特の風格と雰囲気を持っているが、近く解体修理が行われるのではないかと推測される。


 「子安塔」重要文化財に指定されている。

地主(じしゅ)神社
地主神社入口
 清水寺の「本堂」北側(裏側)の一段高いところに「地主神社」(左の写真)がある。この神社も清水寺の関連として世界文化遺産に登録されているようである。

 この神社は清水寺創建に際し鎮守社として創建されたと伝えられており、歴史のある古社と考えられる。祭神は大國主命ほか五神とされている。
地主神社拝殿
 現在では、地主神社は寺の鎮守社としてよりも縁結びの神様として有名であり、左の「拝殿」の写真にも見られるように、恋愛に関する占い、おみくじやお守りなどが目につく。

 そのためか、若者の姿が多いが、参拝に訪れるというよりも縁結びのグッズを買い求めたり、恋のおみくじをひくために、この神社に来ているようである。
恋占いの石
 若者の間で特に人気の高いのが「恋占いの石」(左の写真)である。

 「恋占いの石」は本殿前左右にかなり離して二個置かれており、両目を閉じて片方の石から反対側の石に歩いて向かう。無事たどり着くことができれば恋の願いが叶うとされている。一度でできれば願いも早く叶い、できなければ叶うのも遅れ、反対側の石にたどり着くのに友人などのアドバイスをうけると、願いが成就するにも人の助けがいるという。

 地主神社は歴史ある古社といわれているが、全体としてとして派手で現在的である。神社といえば普通はある種の厳粛さを感じるものであるが、ここにはそんなものは感じられない。

 神社の「本殿」、「拝殿」、「総門」は寛永10年(1633年)の建造といわれ、何れも重要文化財に指定されている。

その他清水寺について
境内紅葉風景
 清水寺は紅葉の名所としても有名であり、紅葉の季節になると多くの観光客が訪れる。

 「本堂」や「奥の院」の舞台からの情景、「子安塔」から「音羽の滝」への道筋、それに「音羽の滝」から舞台の下を通って「仁王門」に向かう通路の両側、何れも見事な紅葉を見ることができる。

 左の写真は「三重塔」の南側の紅葉風景である。

 清水寺の建造物はその殆どが重要文化財である。また、清水寺本坊「成就院」の庭園は「月の庭」といわれ国名勝に指定されている。但し、これは春と秋の特別拝観時以外見ることは出来ない。

 清水寺は京都でも著名な観光スポットであり、参拝者(観光客と言うべきかもしれない)の数も非常に多い。修学旅行など団体の観光コースにもなっており、実に騒々しい。観光シーズンの休日などは、子安塔付近や成就院近辺以外は、ゆっくりと拝観や見学ができないと考えた方がよい。

 なお、清水寺に関しては「清水寺パーフェクトガイド」も参照してください。このサイトには清水寺の観光情報が満載されてます。
 

2007年2月12日最終更新
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