ホーム > 古墳一覧(古墳みてあるき) > 芝谷古墳

芝谷古墳

(実態の把握が事実上できない古墳)
所在地及びアクセス:

 高槻市芝谷町4
芝谷古墳所在地図
 JR東海道本線(JR京都線)「高槻」駅下車。駅北側にある高槻市営バス停留所「JR高槻駅北」より[57]「寺谷町」行きのバスに乗車し、「芝谷古墳前」で下車する。バス停の直ぐ西南側に芝谷古墳が見える。

 「JR高槻駅北」から「寺谷町」行きのバスの発車時刻は8時から19時までの間について次の通り(2007年9月現在)。
平  日 土曜日 日曜・祝日
08 04 14 30 49 10 23 36 50 20 50
09 04 19 34 49 04 19 34 49 20 40
10 06 20 40 04 19 34 49 00 20 40
11 00 20 40 04 19 34 49 00 20 40
12 00 20 40 04 20 40 00 20 40
13 00 20 40 00 20 40 00 20 40
14 00 20 40 00 20 40 00 20 40
15 00 20 40 00 20 40 00 20 40
16 00 20 40 55 00 20 40 00 20 40
17 10 25 40 55 00 20 35 50 00 20 40
18 10 20 30 40 52 05 20 35 50 00 20 40

見所など:

 「芝谷古墳」は芝谷中学校の北側の道路を隔てた場所で、日吉台丘陵(直下の写真)の中央部の尾根上にある。この西側には公園があり、運動場として使われる広場がある。
古墳遠望
古墳に通じている石段
 古墳は高槻市教育委員会の解説掲示板によれば、全長約40mの前方後円墳となっているが、一寸目には巨大な墳丘を持つ古墳のように見える。後述するように古墳は丘陵尾根上に保存されているため前方後円墳であることは認識できない。

 古墳の周囲は石垣とフェンスで完全に囲まれており、左の写真でわかるように、墳丘に立ち入ることはできない。

 写真で見られるとおり立派な幅の広い階段が古墳墳頂部に向かってつけられているが、厳重に保存が計られ、古墳に入れない状態になっている状況下の古墳に、このような階段は全く不似合いであり、異様な感じすらする。

 この古墳が厳重な保存下に置かれなければならない理由はわからないが、開放されていない以上、この古墳についての実態、詳細を知ることはできない。

 築造されたのは4世紀末頃、被葬者は丘陵下に拡がっている浦堂一帯の有力者と推定されているようである。

(参考:高槻市教育委員会名の解説掲示板)

2007年9月19日最終更新
古墳一覧のページへ戻る このページの先頭へ戻る