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前塚古墳


(裾の一部がマンションに、墳丘が駐車場になった古墳)

所在地及びアクセス:

 高槻市岡本町45-11

 JR東海道線(京都線)「摂津富田」駅下車。北出口を出て駅前広場を横切り数十メートル北側にある高槻市営バス「JR富田駅」停留所より[72]「南平台経由奈佐原」行のバスに乗車し、バス停「今城塚古墳前」で下車する。来た道を西の方向へ徒歩1〜2分程戻った場所、道路北側にあるマンションに接して前塚古墳がある。
 また、「JR富田駅」停留所から[71]「関西大学」、[73]「萩谷」、[75]「萩谷総合公園」行きのいずれかのバスを利用してもよい。この場合はバス停「氷室」で下車し、東北の方向に進むと徒歩数分〜10分で前塚古墳に着く。
 なお、近くに「史跡公園今城塚古墳」(「今城塚古墳」として別ページに記載)があるので、「前塚古墳」と同日に見学可能である。

 [72]「南平台経由奈佐原」行きバスの「JR富田駅」発車時刻は9:00〜18:00の間について、次の通りである。(2011年7月現在)
平日 土曜日 日曜・祝日
09 05 25 40 00 20 40 00 20 40
10 00 20 40 00 20 40 00 20 40
11 00 20 40 00 20 40 00 20 40
12 00 20 40 00 20 40 00 20 40
13 00 20 40 00 20 40 00 20 40
14 00 20 40 00 20 40 00 20 40
15 00 20 40 00 20 40 00 20 40
16 00 20 40 00 20 40 00 20 40
17 00 20 40 00 20 40 00 20 40

見所など:

 前塚古墳という名称とその場所から見て、この古墳は今城塚古墳の陪冢(ばいちょう:大きな古墳に近接した小さい古墳で、近親者や従者を葬った墓)ではないかと思われる。
南側からみた古墳
 左の写真は「前塚古墳」を南側の道路越しに見たものである。

 写真左端に見える建物は住宅マンションであるが、古墳の裾の部分を一部削り取って建てられているようである。一階部分は回転寿司屋になっている。

 古墳の南側は車の往来の激しい通りである。現時点から見れば何とも騒々しい場所にある古墳である。被葬者の霊魂がこの場所にさまよっているとすれば、これでは落ち着いて眠ってはおれないだろう。
西側からみた古墳
 「前塚古墳」を西側から見たのが左の写真である。

 写真右端の建物は直上の写真に写っているマンションと同じもの、写真左端の建物は古墳北側に建てられている住宅である。この住宅も古墳の裾部分に密接して建てられている。墳丘部には駐車している車が見える。
東側からみた古墳
 「前塚古墳」の東側は左の写真に見られるように、現在、水田であるが将来はこの水田も宅地になり住宅が建つことになるかもしれない。

 写真右端の建物は古墳北側にある住宅で、上述したように古墳裾部に密接して建てられている。古墳北側も住宅が建つ前は水田だった。

 上述したように、古墳北側には古墳に密接して住宅が建てられているが、この住宅は2004年1月以降に建てられたものと思われる。
古墳北側に掘られた試掘溝
 住宅建設に先立ち、2001年1月には古墳北側の場所に左の写真に見られるように、埋蔵文化財調査のためと思われる試掘溝が掘られていた。

 この試掘溝は2001年3月には埋め戻されていたが、この場所に住宅を建てるための埋蔵文化財の有無に関する調査だったと考えられる。
墳丘上の駐車場
 上述したように墳丘部に車が見えるが、左の写真(この写真は冬に撮影)に見られるように、墳丘の上部の約半分が削り取られ駐車場になっている。この駐車場はマンションの住人と回転寿司屋の客が利用しているようである。
古墳裾部分
 左の写真(この写真は春、田植え前に撮影)は「前塚古墳」東側の墳丘の裾部分であるが、墳丘の裾が段状になっているのが認められ、かなり特徴的である。

 この古墳が造られたのは5世紀後半であると考えられており、もともとは西向きの前方後円墳だったらしいが、現状では円墳(径約60m)のように見える。なお、墳丘にあった石棺は現在、大阪府立近つ飛鳥博物館に保管されているといわれている。

最終更新:2011年6月29日
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