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鼻摺古墳

(天皇陵との説もあるらしい珍しい方形の古墳)
所在地及びアクセス:

 茨木市耳原(みのはら)三丁目
鼻摺古墳所在地図
 JR東海道線(JR京都線)「茨木」駅下車。駅北側の阪急バス1番のりばから[86]、[87]系統「茨木サニータウン」行き、[84]系統「大岩」行き、[81]系統「忍頂寺」で乗り換え「余野」行きの何れかのバスに乗車し「中河原」で下車する。勝尾寺川に沿って東の方に進み、茨木川に架かっている幣久良(へくら)橋を渡り更に東の方に約200m進み、信号のある交差点を北側へ曲がり数10m進むと右手に「鼻摺古墳」が見える。

 バス停「中河原」を通る阪急バスの「JR茨木」発時刻は9:00〜17:00の間について次の通りである(2002年3月現在)。
平日 土曜日 日曜・祝日
09 05# 11 26 41 52\ 56 04# 11 26 41 52\ 56 11 26 37\ 41 56
10 11 26 41 52\ 56 11 26 41 52\ 56 11 26 41 52\ 56
11 11 26 36* 41 52\ 56 11 26 34* 41 52\ 56 11 26 34* 41 52\ 56
12 11 26 41 52\ 56 11 26 41 52\ 56 11 26 41 52\ 56
13 11 26 41 52\ 56 11 26 41 52\ 56 11 26 41 52\ 56
14 11 26 41 52\ 56 11 26 41 52\ 56 11 26 41 52\ 56
15 11 26 41 52\ 56 11 26 41 52\ 56 11 26 41 52\ 56
16 11 26 41 52\ 56 11 26 41 52\ 56 11 26 41 52\ 56
無印:「茨木サニータウン」行き、#印:「忍頂寺」行き、\印:「忍頂寺」で乗り換え「余野」行き、*印:「大岩」行き。

 阪急京都線「茨木市」駅前からも上記同様の系統のバスが出ている。バス停「中河原」を通る阪急バスの「阪急茨木」発時刻は9:00〜17:00の間について次の通りである(2002年3月現在)。
平日 土曜日 日曜・祝日
09 01 16 43\ 16 42\ 02 28\ 32
10 02 32 43\ 01 31 42\ 01 31 42\
11 02 27* 32 43\ 01 24* 31 42\ 01 24* :31 42\
12 02 32 43\ 01 31 42\ 01 31 42\
13 02 32 43\ 01 31 42\ 01 31 42\
14 02 32 43\ 01 31 42\ 01 31 42\
15 02 32 43\ 01 31 42\ 01 31 42\
16 02 31 42\ 01 31 42\ 57 01 31 42\
無印:「茨木サニータウン」行き、\印:「忍頂寺」で乗り換え「余野」行き、*印:「大岩」行き。

 別のアクセス法として:阪急京都線「茨木市」駅下車。駅北側の阪急バスのりばから[89]系統「車作」又は「桑原橋」行、又は[79]系統「竜仙峡」行(日祝日のみ)に乗車し「耳原(みのはら)」で下車する。耳原交番北の交差点を西の方向に進み次の信号のある交差点を北側へ曲がり数10m進むと右手に「鼻摺古墳」が見える。
平日 土曜日 日曜・祝日
09 10* 30 53* 10* 30 53* 00 30\ 45
10 15 40 15 40 15 40 55*
11 25* 55 25* 55 25 55
12 25* 55 25* 55 25* 55
13 25 50* 25 50* 25 50*
14 35 35 35
15 15* 45 15* 45 15 48\
16 15* 40 55 15* 40 55 25* 53
無印:「桑原橋」行き、*印:「車作」行き、¥印:竜仙峡行き。

見所など:
冬の古墳全景
 「鼻摺(はなずり)古墳」は「耳原(みのはら)方形墳」とも呼ばれ、この地方では珍しいとされている方形の古墳である。

 左の写真は西南側から見た冬の「古墳」全景であり、直下の写真は南側から見た夏の「古墳」全景である。
夏の古墳全景
 古墳の北側は道路、西側は道路を境して住宅、、東側は駐車場、南側は農地である。

 現在(2002年3月)、古墳全体が金網のフェンスで囲われており、墳丘上などに立ち入ることは出来ない。
標識
 2001年7月の時点ではこのフェンスがなかったので、最近設置されたものと思われる。

 また、『史跡鼻摺古墳』の石柱標識が金網のフェンス内に立てられている(左の写真)が、これも2001年7月の時点には目につかなかったものである。最近史跡の指定がなされたものと考えられる。


 直下の写真は北側から見た「古墳」の全景である。墳丘の上部は平坦であり、古墳の形状は一辺約33mの正方形とされている。この古墳が築造されたのは6〜7世紀と考えられている。
古墳近景
古墳の一部
 周濠は墳丘を囲んで四方にあったとのことであるが、現状では残っていない。

 左の写真、フェンスの向こう側で写真右側に見える墳丘と写真左側に見える数本の木立の間に道のような部分が見えるが、この部分が周濠の跡と推測される。

 かつては、墳丘の上に登ることは可能であったが、金網のフェンスが設置されてからは立ち入ることが出来なくなった。 
古墳上の祠
 左の写真は2000年3月に撮影したものであるが、墳丘上には写真に見られるように、コンクリート柱の上にのった小さい祠がある。この祠には古墳の主を祀っているものと思われるが、詳しいことはわからない。

 ただ、祠の中は汚れていて、私が見た時点では、かなり長い間誰も世話をしていないように思われた。

 この古墳は古くから土地の人々に関心を持たれていたようであり、1960年に調査が行われたが、それ以前に大がかりな盗掘があったらしく、調査時に出土品は殆ど見られなかったとのことである。

 古墳の被葬者については履中天皇ともいわれているが、一方、仁徳天皇あるいは反正天皇という説もあるらしい。しかし、常識的に考え、天皇陵といえばもっと規模の大きいものであってもよさそうで、上記何れの被葬者説も説得力に欠けるように思われる。

 この付近はかつて「毛受野
(もずの)」と呼ばれていたようで、これが堺の「百舌鳥(もず)」と似ていることから、被葬者について上述のような説が生まれたのであろうと考えられる。

 (参考:茨木市教育委員会名の解説掲示板)
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Yukiyoshi Morimoto