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安満宮山古墳

(復元し一般公開された青龍三年銘銅鏡出土の古墳)
所在地及びアクセス:

 高槻市安満(あま)御所の町(市公園墓地内)
古墳所在地図
 JR東海道線(京都線)「高槻」駅下車。駅南側に出て高架から下り、松坂屋傍の高槻市営バス停留所「JR高槻駅南」6番のりばから「上成合」、「上成合経由川久保」行きのいずれかのバスに乗車しバス停「磐手
(いわて)橋」で下車する。桧尾川に架かる磐手橋を渡り、右手の坂道を上る。一寸した広場に出るので公園墓地管理事務所の前の道を通り、道なりに坂道を上がると安満宮山古墳に着く。バス停から徒歩約25分。途中、道に近接して右側下に安満山A1号墳が見える。

 「上成合」行き、及び「上成合経由川久保」行きの高槻市バス「JR高槻駅南」停留所発車時刻(8時〜18時の間について)は次のとおり(2004年8月1日改正、2004年11月現在)。
平日 土曜日 日曜・祝日
08 00 05 15 25 35 50 00 12 24 37 50 04 24 44
09 05* 21 36 51 06* 21 36 51 06 26 46
10 06 21 36 51 06 26 46 06* 26 46
11 06 26 46 06 26 46 08 26 46
12 06 26* 46 06* 26 46 06 26* 46
13 06 26 46 06 26 46 06 26 46
14 06 26 46 06 26 46 06 26 46
15 05* 25 45 06* 26 46 05 25 45 55*
16 05* 25 45 05 25* 40 55 05 25 35* 45
17 05 20 35* 50 10 25* 40 55 02 25 35* 45
*印は「上成合経由川久保」行き、無印は「上成合」行き

見所など:
発掘状況
 安満宮山(あまみややま)古墳の出土品について、1997年8月1日に高槻市教育委員会が発表し、これがマスコミに大きく取り上げられ、この古墳はすっかり有名になった。1997年8月2日と3日に現地説明会が開かれたが、全国から約6500人の人が集まったという。

 左の写真は1997年8月の時点での発掘調査中の状況である。同年10月には墳坑などは埋められ、発掘前に近いと思われる状態に復元された。

 今回の出土品発見の経緯については、墓地の造成工事に先立って事前調査をした結果であるといわれているが、このような発見はどうも偶然性が大きいものと思われる。阿武山古墳(別ページに記載)発見の経緯も偶然によるものであった。

 発掘調査終了後、古墳を一般公開すべく復元整備の工事が行われていたが、1998年12月に完成し、12月11日から公開された
古墳全景
 左の写真は復元整備された古墳全景であり、その周辺は公園のような状態であり、ここから高槻の町や淀川を遠望することが出来る。

 古墳の入口には安満宮山古墳の標識になっている赤い柱が立っている。その先には円筒形の解説板が置かれており、これには古墳から出土した五枚の鏡のレプリカが配置されているが、このレプリカが如何にも安っぽい。
古墳部分
 墳坑のある場所全体はカマボコ形のガラスで覆われている(左の写真)。墳坑を保護するためにつけられたと思われるこのカマボコ形の覆いは古墳のもつ独特の厳粛さに不似合いであり、異質なものをに組み合わせた不自然さが何とも気になる。
墳坑
 このガラス製の覆いを通して墳坑内部を観察することが出来る(左の写真)。
墳坑内部(1)
 墳坑内には、左の写真に見られるように、銅鏡など出土品のレプリカが発掘時と同じ状態に置かれており、また、被葬者の埋葬状況が人の形にかたどられている。

 墳坑内に描かれた人の形などはあまり趣味がよいように思えないし、何となく不気味な感じがしないでもない。
墳坑内部(2)
 左の写真は1999年5月(約5年半前)に撮影した墳坑内であるが、直上の写真と比べ人の形が何故か微妙に違っている。

 墳坑の底が赤い色をしているが、これは防腐の目的に水銀の酸化物が用いられたためであろう。

 この古墳は規模が小さいわりに被葬者の持ち物が立派であるといわれている。被葬者については、この地方の王であり、景初3年(239年)に倭国の外交使節団が魏国に訪れた際の有力な一員ではないかと考えられているようである。

出土品の一つ「方格規矩四神鏡」について:

 直下左のコピー(1997年8月31日高槻市教育委員会発行、パンフレット「安満宮山古墳」より)は「青龍三年」銘の「方格規矩四神鏡」であり、この古墳の出土品の中で最も注目され話題になったものである。直下右のコピー(1997年8月31日高槻市教育委員会発行、パンフレット「安満宮山古墳」より)は鏡に刻印された「青龍三年」の年号の部分を拡大したものである。
方格規矩四神鏡 青龍三年銘部分
 青龍三年(235年)は中国、魏の年号であり、青龍三年の銘のある鏡は日本で発見された年号付きの鏡では最古のものであるという。青龍三年鏡はこの古墳の他に、丹後半島の大田南5号墳でも出土しているようである。

 安満宮山古墳などから出土した方格規矩四神鏡、奈良の黒塚古墳から大量に出土した三角縁神獣鏡など、その他各地で出土した多くの鏡が卑弥呼の鏡とされているようで、それらを合計すると百枚をはるかに超えているようである。これは魏志倭人伝に書かれている『卑弥呼に「銅鏡百枚」を与えた』、という記事とは矛盾している。この問題について学者の間で議論されているようであるが、私のような素人レベルにまで下げての説明を殆ど聞かない。マスコミは卑弥呼の鏡の出土ということで話題性のみを追っかけている感じがするのであり、上記の問題についても取りあげてほしいものである。

 (資料:1997年8月2日〜8月15日の間の新聞。1997年8月31日高槻市教育委員会発行のパンフレット「安満宮山古墳」)

2004年12月17日更新
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Yukiyoshi Morimoto