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隠れキリシタンと遺物(2)

[大阪府茨木市下音羽地区]


茨木市の隠れキリシタン

 キリシタン大名、高山右近がキリスト教禁教令にふれ追放されてからは、キリスト教はこの地から消滅したかに見えた。しかし、大正8年(1919年)に今の茨木市千提寺地区でキリシタン遺物が発見されてから、隠れキリシタンの存在が明らかになったとされている。

 千提寺地区と同様に、その北方に位置している下音羽地区にも高雲寺をはじめ、その付近にも隠れキリシタンの遺物が残されている。

茨木市下音羽地区へのアクセス
下音羽地区へのアクセス 下音羽地区高雲寺付近の地図

 左の図はJR茨木駅、阪急茨木市駅から下音羽地区までのアクセスの概略地図であり、直上の図は下音羽地区の高雲寺付近の地図である。

 自家用車やタクシーを利用せず、公共交通機関で下音羽地区を訪れるには、阪急茨木市駅又はJR茨木駅前から阪急バスを利用する。阪急バス「忍頂寺」行きに乗車し、終点の「忍頂寺」まで行き、そこで「銭原経由余野」行き、又は「銭原」行きの阪急バスに乗り換えて(「上音羽経由余野」行きに乗車しないこと)「下音羽」で下車する。忍頂寺で乗り換えバスに連絡していないときは、忍頂寺からは徒歩による。忍頂寺バス停から下音羽バス停まで徒歩約15分。
 阪急茨木市駅及びJR茨木駅前から忍頂寺行きのバス発車時刻は7時から18時までの間について下表の通り(2008年3月現在)。
阪急茨木市駅発 JR茨木駅前発
平 日 土曜日 日・祝日 平 日 土曜日 日・祝日
 7 21 24  21  31 33 30
 8 07*  55* 01* 55* 13* 17* 10* 22*
 9 43 42 28 05* 52 04* 52 37
10 43 42 42 52 52 52
11 43* 42* 42 52* 52* 52
12 43 42 42* 52 52 52*
13 43 42 42 52 52 52
14 43 42 42 52 52 52
15 43* 42* 42* 52* 52* 52*
16 42 42 42 52 52 52
17 28 58* 20 58* 42* 38* 30 52*
無印:忍頂寺で銭原経由余野行き又は銭原行きの連絡あり。
*印:忍頂寺から銭原、余野方面行きの連絡バスなし。

下音羽地区の隠れキリシタン遺物に関連する見所など

 下音羽地区で隠れキリシタン関連の遺物を見ることが出来る場所として曹洞宗の寺、高雲寺を欠かすことはできないであろう。高雲寺はキリスト教信者が表向きは仏教徒であることを装うための寺であったという。
高雲寺への道
 下音羽のバス停傍には交番がある(左の写真で左端に写っている)が、来た道を少し引き返すと左の写真右端に見られるように見山郵便局があり、その傍から北向きに入る道を進むと高雲寺への入口になる石段がある。写真中央部にその石段が見える。

 この石段はかなり長く、勾配も比較的急である。高雲寺はこの石段を登り切ったところに建てられている。
高雲寺の山門
 石段を上がりきると左の写真に見られるように鳥居様の「山門」にあたるものが建てられている。このような山門も規模の小さな寺では時に見られるが、一寸変わった感じがする。
本堂
 上述の山門をくぐると直ぐに「本堂」(左の写真)が見える。「本堂」は一寸目には普通の民家の造りであり、寺という感じからは遠い。

 前述したように、高雲寺はキリスト教信者が表向きに仏教徒を装うための寺であったといわれている。
キリシタン墓碑遠望
 キリシタンの隠れ寺の遺物として「キリシタン墓碑」が発見され、現在、本堂前の一寸した広場東側の隅に置かれており、見学することが出来る。

 左の写真で左側奥に見えるのが「キリシタン墓碑」である。
キリシタン墓碑
 「キリシタン墓碑」を近くで見たのが左の写真である。二基の墓碑の大きさは違っており、左側の墓碑が右側のものより大きいが、形状は両者共同じカマボコ形(キリスト教的?には石棺形)で、材質は両者とも花崗岩である。
左側の墓碑
 左側の大きい方の「墓碑の碑面」を見たのが左の写真である。

 説明によれば、この墓碑の高さは42.5cm、幅は中央部で41cm、奥行きは47cmとされている。また、碑面上部に十字の横と縦の辺の長さが等しい等辺ギリシャ十字章、その下部には、『ぜにはらまるた』の人名、更に慶長15年10月11日の日付けが彫られていたという。

 写真からもわかるように、墓碑の風化は進んでおり、碑面に彫られていたという十字章をはじめ文字は全くといっていいほど認識できない状態になっている。

 この墓碑は高雲寺の手水鉢の台石に使われていたといわれている。
右側の墓碑
 左の写真は二つの墓碑の内右側にある小さい方の「墓碑の碑面」である。

 墓碑前に書かれている説明では、墓碑の高さは32.7cm、幅は中央部で32cm、奥行き41cmとなっている。碑面上部には大きい方の墓碑に彫られていたのと同様の等辺ギリシャ十字章が、また、詳細がわからないが数名の人名と慶長18年5月24日の日付けが彫られていたという。

 左の写真からもわかるが、この墓碑の碑面も風化を受けており詳細はわからないが、何か彫られていた痕跡を認めることが出来る。また、碑面上部に彫られていたという十字章もそれらしきものが認められる。
1997年に撮影した碑面
 左の写真は小さい方の「墓碑の碑面」を1997年に撮影したものである。写真で黄色の丸印をつけた中に明瞭とはいえないが、十字章を見ることができる。約10年間の経日でこの十字章が殆ど見ることができなくなってしまった。

 この墓碑は高雲寺のくつ脱ぎ石に使われていたものという。

 キリシタン墓碑を隠す目的で上述のような使われ方をしていたのであろうか。それとも、改宗したこと欺くためにこのような使われ方をしたのか。または、その他の理由があったのか。それにしても、何故か二つの墓石の使われ方が随分と違っている。興味ある問題である。
キリシタン自然歩道標識
 高雲寺の下の道路をバス停長谷口の方に向かって200〜300m進み、バスの通る道を外れ南の方に向かって進んだ後、坂道を上がって行くと「キリシタン自然歩道」の標識(左の写真)がある。これに類した「キリシタン自然歩道」の標識はここに限らず、忍頂寺バス停付近から、この辺りにかけて数多く見られる。

 この標識にしたがって『下音羽キリシタン遺物』と書かれた方向に進むと、「厨子入象牙彫キリスト磔刑像(ずしいりぞうげぼりキリストたっけいぞう)」が発見された大神家が見える。
キリシタン遺物の標識
 左の写真中央に白く写っている解説標識が見える。この解説板には「厨子入象牙彫キリスト磔刑像」がここ大神家の納屋から大正11年(1922年)に発見されたことと、この像に関する説明が書かれている。

 説明によると、高さ38.6cmの黒漆塗りの厨子の中に十字架にはりつけられた13.3cmの象牙彫りキリスト像が納められているという。なお、この像は重要美術品の認定を受けているようである。

 この「象牙彫キリスト磔刑像」は公開されていないようであるが、この点に関し詳しいことはわからない。

 (参考:高雲寺の「高雲寺キリシタン墓碑」解説掲示板。「厨子入象牙彫キリスト磔刑像」解説掲示板)

新規収載:2008年3月3日
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Yukiyoshi Morimoto