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高槻城跡のキリシタン墓地群

 1998年6月に高槻城跡地から多数の木棺、人骨が発掘され、8月には、その西隣からも木棺、人骨が発見された。また、高槻城跡地で、現在の高槻商工会議所会館敷地からも同様の発見があり、城跡地にはキリシタンの集団墓地があったと考えられている。
木棺の一部
 最初に発見された集団墓地は「高山右近記念聖堂」から西北西の方向に約100m程離れた場所であり、規模は東西約50m、南北約30mで、約190基の墓があったと推測されている

 左の写真は発掘された木棺の一部であり、棺は松材製のようである。写真では明確ではないが棺の板厚は思った以上に薄く、厚みは1cmにも満たない程度である(写真で人骨部分はモザイクをかけている)。

 木棺の蓋には、十字の縦線の上部に横線を付けた「二支十字」といわれている十字架が書かれている。更に十字架右下に点が添えられている(直下の写真:11号木棺の蓋)。
棺蓋の十字架
 考古学者によれば、このように埋葬の様子がわかるキリシタン墓地の発掘例が他になく、キリシタン文化解明にとって極めて貴重な発見である、という。

 最初に墓地が発見された場所は、もともとマンションの建築現場であったが、建設途中でキリシタン墓地であることがわかった。

 上述の通り、
これが貴重な発見であるとすれば、素人考えかもしれないが、マンションの建設を中止し、何らかの方法で適切な保存処置がなされると考えるのが自然ではなかろうか。
ロザリオ出土状態
 マスコミで発表された直後、発掘現場は埋められてコンクリートが打ち込まれ、マンションの建設が続行され、墓地群の存在は外見上、全くわからなくなってしまった。マンションの地下に埋めてしまうことが適切な保存方法なのであろうか。マンションが完成し人が入居した状態では、たとえ学術的な意味で再調査したくても、発掘できなくなる。それにしても、このマンションにどのような人が入居しているのであろうか。

 高槻城跡地で現在の高槻商工会議所会館敷地から発掘された木棺の中からロザリオ(カトリック教会で用いられる祈祷用の数珠状のもの)が発見された。直上の写真はロザリオの玉の出土状況である。
ロザリオ
 左の写真は発見されたロザリオの玉を繋ぎ、復元したものである。

 ロザリオは1549年にフランシスコ・ザビエルが日本に持ち込んだのが最初とされているが、今までに見つかっているのは江戸時代の隠れキリシタン以降のものだけとされている。

 高山右近の父、高山飛騨守が領内のキリシタンのためにロザリオを作らせたといわれており、今回の発見でこれが検証されたことになると考えられている。

 これらのことから、このロザリオは我が国で最古のロザリオということになり、布教当初のキリスト教信仰の状態を知る上で極めて貴重な発見であるという。
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Yukiyoshi Morimoto