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滋賀県湖東三山「金剛輪寺」

(秘仏本尊「生身の観音様」、「血染めのモミジ」で著名な古刹)

所在地及びアクセス:

 滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺873

 金剛輪寺への定期路線バスの便はない。最寄りの駅(近江鉄道「豊郷」駅)から金剛輪寺まで約7kmあるので徒歩によるのは無理がある。従って、自家用車によるか又は最寄りの駅からタクシーを利用することになる。
 タクシーはJR東海道本線「稲枝」駅から利用することができる。
 なお、JR「稲枝」駅からは予約型の乗合タクシーの便がある。乗合タクシーは年末年始を除き毎日8時〜16時の間1時間毎に運行している。予約は乗車1時間前までに近江タクシー彦根営業所(TEL:0749-22-0106)に予約する。タクシーは複数の人との乗り合いになるため、所要時間はその日によって異なる。
 紅葉の最盛期(11月21日〜11月31日)にはJR「彦根」駅から湖東三山連絡シャトルバスが運行されている。運行日及び時刻、運賃などは、湖国バス(TEL:0749-22-1210)に問い合わせること。

宗派:
天台宗

本尊:聖観世音菩薩

開基:行基菩薩

縁起:
朱印
 金剛輪寺は聖武天皇の祈祷寺として天平13年(741年)に行基菩薩によって開山された寺で、本尊の聖観世音菩薩は行基菩薩の作といわれている。

 以来、天下泰平の祈祷寺として栄え、平安時代の初めには延暦寺の慈覚大師が来山して天台密の道場とされてから、天台宗の大寺院となった。

 元寇の役の戦勝記念として、近江守護職であった佐々木頼綱によって弘安11年(1288年)に本堂が建立された。以来、約730年経過したが、これが現在の本堂大悲閣である。

 戦国時代には織田信長が比叡山を焼き討ちした後、当寺も火を放たれたが僧侶の奇智によりにより、本堂並びにその諸仏、三重塔、二天門等がその火から免れ今日に至っている。

 金剛輪寺には松峰山松尾寺の別名がある。

境内諸堂等配置図:
諸堂配置図

見所など:
寺名石碑
 駐車場から道路を隔てて金剛輪寺の境内入り口に当たる総門があるが、その傍に金剛輪寺の寺名石碑(左の写真)が建てられている。
総門
 左の写真は金剛輪寺の「総門」で正面入口となる。通常はこの門を通って境内に入るが、本堂までの参道は石段が多くしかも勾配の大きい場所があるので高齢者など参道を歩いて上るのが困難な人がかなり見られる。歩いて上がるのが困難な場合は車で上がることができる。

 上述の境内諸堂配置図に記載している自動車道路を利用して車で坂道を上る。大型の観光バスの場合はバス専用降車場まで、自家用乗用車の場合は本堂の近くまで上ることができる。観光バスで来た場合はバス専用降車場から本堂までは石段の参道を少し歩かなければならない。

 観光バスの場合、バス降車場で駐車ができないので客を降ろした後、直ぐに引き返す。したがって、参拝者は帰りは参道を徒歩で下りなければならない。
参道(1)
 「総門」を通り抜けると本堂まで「参道」が続いている。本堂までの「参道」は比較的歩きやすい緩い上り勾配の場所もあるが、全体的に見て上り勾配の石段が多く勾配もかなり急な場所がある。左の写真は「参道」でも勾配の緩やかな場所である。

 季節になると写真でも分かるように、この辺の参道沿いの紅葉は盛大で見事である。
参道(2)
 左の写真も「参道」沿いの紅葉である。紅葉の季節には大勢の観光客が訪れ、参道は混雑する。
本坊(明寿院)
 参道を進むと左側(北側)に本坊(明寿院)に通じる門があり、門をくぐると「本坊(明寿院)」(左の写真)が見える。本坊書院には池泉回遊式の庭園があり、作者は不明であるが名勝古庭で国の名勝に指定されている。
千体地蔵(1)
 「本坊(明寿院)」に通じている門を左手に見て「本堂」に向かって参道を進むと石段道になり、その両側には石地蔵がびっしりと並べられている(左の写真)。この石地蔵は「千体地蔵」と呼ばれている。

 参道の両側に並べられた「千体地蔵」は「本堂」の前に建てられている「二天門」の近くまで続いている。
千体地蔵(2)
 「千体地蔵」は参道の両側の他に参道傍に広場が造られ、ここにも多数並べられている(左の写真)。

 「千体地蔵」には通常は風車が供えられているが、8月9日の千日会にはそれぞれの地蔵に明かりが入るという。地蔵につけられている「よだれかけ」は信徒の寄進によるもので、年に3回かけ替えられるようである。
二天門
 参道を本坊(明寿院)に通じている門から約400m進むと「二天門」(左の写真)に着く。

 「二天門」は室町時代末期の建造で、左右に増長天と持国天が安置されている。この門はもとは楼門だったらしい。

 「二天門」は重要文化財に指定されている。

 写真でも分かるように、門の手前にある木は殆ど紅葉していないが、紅葉の時期が他の木よりも若干遅いのではないかと思われる。
二天門の草鞋
 「二天門」には大きな草鞋
(わらじ)がつり下げられている(左の写真)。これには七難即滅を願う、という意味があると言われている。
本堂(1)
 「二天門」をくぐるとすぐ前に「本堂」が建っている.。左の写真は正面(西面)やや北側から見た「本堂」である。「本堂」には大悲閣の額がかけられており、桁行7間、梁間7間、約21m四方で正面には蔀戸
(しとみど)を入れ伝統的な和様建築の堂々とした建物である。

 内部は外陣、内陣、裏堂に分かれ、内陣須弥座の金具に弘安11年(1288年)の銘があり、「本堂」はこの頃の建物だろうとされている。
 
本堂(2)
 「本堂」正面(西面)中央付近から南端まで写したのが左の写真である。

 「本堂」の内陣中央にある厨子には秘仏の本尊「聖観世音」が安置されている。この本尊は行基が一刀三礼の法に従い刻んだが、ある日木肌から赤い血が流れ出たので、それ以上の彫刻をやめて荒彫りのまま安置したと伝えられている。調査の結果、本尊は鉈彫りで完成中途の状態であることから、言い伝えと符合している。

 写真中央に深紅に紅葉したモミジの木があるがこれについては以下に記述する。
本堂と血染めのモミジ
 左の写真は「本堂」正面の南端部近くに植えられている深紅に紅葉しているモミジである。「本堂」の近辺にはこの写真にあるような深紅に紅葉するモミジが植えられている。

 既述したように行基が本尊を彫っているときに、木肌から赤い血が流れ出した、という言い伝えから、あたかもその血で染めたように鮮やかに紅葉することから「血染めのモミジ(紅葉)」と呼ばれており、有名である。
本堂(3)
 左の写真は「本堂」を南西隅の方向から見たものである。この位置から見ると「本堂」全体を把握しやすい。

 既述の通り、「本堂」の内陣中央にある厨子には秘仏の本尊「聖観世音」が安置されているが、この本尊を挟んで須弥壇の上には多くの諸仏が並んでいる。厨子の前には前立仏として聖観音立像、向かって右に不動明王立像、左に毘沙門立像、その他、阿弥陀如来像、十一面観音立像など重要文化財指定の仏像が十体安置されており、見るものを圧倒する。
本堂付近の紅葉
 「本堂」の北側のやや高い位置に三重塔が建てられているが、そこへ上がる途中の場所から「本堂」と付近の紅葉を見たのが左の写真である。写真では「本堂」が左端に見える。

 写真で深紅に紅葉したモミジが見えるが、これも「血染めのモミジ」と呼ばれているようである。
三重塔(1)
 左の写真は「本堂」の北側やや小高い場所に建てられている「三重塔」である。

 「三重塔」の建立に関しての記録はないようであるが、寺に保管されている相輪部材に永正17年(1520年)の銘があるという。「三重塔」は天保4年(1833年)頃には破損が進み、昭和の代には最上層がなくなるまでに至った。昭和47年(1972年)には重要文化財に指定、その後解体修理されて昭和53年(1978年)に完全な三重塔が完成し現在に至っている。
三重塔(2)
 左の写真も「三重塔」を見たもので、「三重塔」もモミジに囲まれた場所に建てられている。

 「金剛輪寺」は紅葉で著名な湖東三山の古刹に選ばれているだけあって、他の寺院と同様、季節には見事な紅葉を見ることができる。本堂から三重塔近辺は特に盛大できれいな紅葉が見られ、本堂に近接した深紅の紅葉は「血染めのモミジ」として著名で、印象的である。

新規収載:2015年2月17日

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