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京都亀岡「谷性寺(光秀寺)」


所在地及びアクセス:

 京都府亀岡市宮前町猪倉土山

 JR山陰本線(嵯峨野線)「亀岡」駅下車。駅前の京阪京都交通「亀岡駅前」バス停から[40]「八田経由園部駅西口」行きバスに乗車し、「猪倉
」で降車する。バスの乗車時間は約28分。
 バス停傍の道を北の方向に集落の中を通り約250m進むと谷性寺に着く。

 「八田経由園部駅西口」行きバスの「亀岡駅前」発車時刻は9時〜18時の間について下表の通りである(2015年3月14日改正、下表の時刻表は2015年6月現在)。
平 日 土休日
09 22 --
10 37 37
11 -- --
12 -- --
13 36 36
14 32 --
15 -- --
16 08 08
17 29 29

 「亀岡駅前」行きの「猪倉」バス停発車時刻は9時〜19時の間について下表の通りである(2015年3月14日改正、下表の時刻表は2015年6月現在)
平 日 土休日
09 33 --
10 18 18
11 30 --
12 34 34
13 -- --
14 -- --
15 12 12
16 30 --
17 30 30
18 36 --

 上記バス時刻は変更されることがあるので、利用に際しては念のため京阪京都交通亀岡営業所(Tel:0771-23-8000)に確認されることをお勧め致します。

縁起など:
谷性寺朱印
 本尊:不動明王

 宗派:真言宗大覚寺派

 谷性寺の創建は平安時代と伝えられているが、鎌倉時代ともいわれておりこのあたり明確ではないと思われる。明智光秀が天正3年(1575年)に始めて丹波の地に入って以来、当寺の本尊不動明王を崇敬し、本能寺の変を決意した際は、不動明王に誓願し将兵はその加護を受け本懐を遂げたとされている。
 谷性寺は別称で『光秀寺』といわれるほど明智光秀との関係は深い。

見所など:
寺名石碑
 公道から寺の参道に入る場所に左の写真のようなかなり大きな石に『谷性寺』
と彫られた寺名標識が立てられている。
谷性寺全景
 公道から寺の南側にある山門まで緩い上り勾配で段差の小さい参道が真っ直ぐについている。左の写真は植木等に遮られ明確にはわからないが寺のほぼ全景であり、中央に入り口に当たる山門が見え、その奥にわずかに赤い屋根の見えている建物が本堂である。寺の規模は大きくない。

 参道入り口左側に上述した寺名を彫った石の標識が見える。
谷性寺入り口
 左の写真は参道を上がりきったところにある「山門」で、この奥に「本堂」がある。本堂は赤い屋根の建物で、この写真ではよく分からないが、その造りはおよそ寺らしくなく一般の民家のようである。

 この「本堂」は昭和48年(1973年)に建てられたようである。
門と本堂
 左の写真は約12年前(2003年1月)に撮影した「山門」「本堂」である。この写真では本堂の屋根は赤くないが、形状としての全体像は把握しやすい。
光秀首塚周辺
 「山門」をくぐると直ぐに「本堂」があるが、「山門」をくぐり「本堂」に向かって左側に「光秀公首塚」がある。左の写真は首塚とその周辺を写したもので、写真中央に四角柱状の墓碑が見えるが、これが「光秀公首塚」である
光秀首塚
 左の写真は「光秀公首塚」を東南側から見たもので、塚の背後に見えるのは本堂である。

 明智光秀が豊臣秀吉の軍に山アの戦いに敗れ、坂本城に向かう途中、天正10年(1582年)6月に山科小栗栖で民衆に襲われ殺された。溝尾庄兵衛は光秀の首を隠しておき、後に光秀が生前に信仰していた本寺に運び懇ろに埋め葬ったといわれている。

 「光秀公首塚」の石碑は安政2年(1855年)に建てられたとされており、光秀が殺されてから270年余りの年月が経過している。この首塚は光秀の怨念を鎮めるために建てられたとされているので、光秀の首を当寺に葬ったのが真実であったにしても、270年前に葬った場所を特定しているものとは考えにくい。
樂寿観音像
 「光秀公首塚」の西、境内の西側に「楽寿観音像」(左の写真)が安置されている。

 この谷性寺は近畿楽寿観音霊場第二十五番札所になっている。

 毎年、季節になると境内に植えられた桔梗が咲き乱れる。谷性寺は別名で『光秀寺』と呼ばれていることは上述したが、同じく別名で『桔梗寺』とも呼ばれている。
明智三問
 境内東寄りに山門風の建物が建てられている(左の写真)。柱には『明智山門』及び『真言宗大覚寺派 清瀧山谷性寺』と書かれた二枚の木札が架かっている。この門は「光秀公首塚」の正面真東側に位置しており、『明智山門』の名称が付けられたものと思われる。

 この門は西願寺にあった『明智門』で、廃棄されようとしていたのを光秀縁の谷性寺に昭和51年(1976年)10月に移築したものである。

 ただこの建物の中には木製の腰掛け様のものが置かれているので、門というよりも休憩所のような感じがする。

 谷性寺は小ぶりの寺であるが光秀との因縁が深く、光秀を偲ぶのには格好の場所であろう。

新規収載:2003年2月28日
最終更新:2015年6月21日

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