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京都亀岡「谷性寺(光秀寺)」

所在地及びアクセス:

 京都府亀岡市宮前町猪倉土山
谷性寺所在地図(1)
谷性寺所在地図(2)  JR山陰本線(嵯峨野線)「亀岡」駅下車。駅前の京都交通「亀岡駅前」バス停から「八田経由園部駅西口」行き、又は「宮前経由畑野」行きのバスに乗車し、「猪倉(いのくら)」で降車する(バス乗車時間:21〜23分)。
 バス停傍の道を北の方向に集落の中を通り約250m進むと谷性寺に着く(左の地図参照)。
 「猪倉」を通るバスの「亀岡駅前」発時刻は9時〜18時の間について次の通りである。「八田経由園部駅西口」行きには「若森」経由と「大谷」経由があるが何れも「猪倉」を通る。「畑野」行きの便数はかなりあるが下表の時刻の便のみ「猪倉」を通る。(2003年2月現在)
「八田経由園部駅西口」行き 「畑野」行き
09 15 --
10 -- --
11 15 --
12 -- --
13 -- 00
14 10 --
15 30 --
16 -- 00 35
17 10 --

 「亀岡駅前」行きの「猪倉」バス停発車時刻は9時〜19時の間について下表の通りである。(2003年2月現在)
「亀岡駅前」行き
09 42
10 --
11 --
12 12
13 13
14 10 37
15 --
16 11
17 10 45
18 11
見所など:
石製の寺名標識
 公道から寺の参道に入る場所に左の写真のような『谷性寺』(こくしょうじ)と彫られた石の大きな寺名標識が立てられている。

 この寺は後述する理由から「光秀寺」ともよばれており、鎌倉時代に創建されたと伝えられている。宗派は真言宗大覚寺派とされている。
谷性寺全景
 公道から寺の南側にある山門まで緩い石段の参道が真っ直ぐについている。左の写真は寺のほぼ全景であり、その規模は大きくない。

 上述したように参道入り口左側に
寺名を彫った石の標識があるが、これが特有の雰囲気を醸し出している。

 参道の右側には茶畑がある。この茶は京都の高山寺から種を譲り受けて育てたものと伝えられている。
山門と本堂
 石段を上ったところにある南向きの「山門」(左の写真)は小ぶりであるが寺の規模から見てバランスがとれている。

 「山門」の奥に「本堂」と思われる建物があるが、
その造りはおよそ寺らしくなく一般の民家のようである(左の写真)。この理由は分からないが光秀の首塚のあることと何か関係があるのだろうか。
寺名額
 「本堂」と思われる建物は昭和48年(1973年)に建てられたようで、正面には大覚寺門跡良戒大僧正の書になる寺名額が掲げられている。

 本尊として不動明王が祀られている。明智光秀が八上城を攻略するときこの不動明王を崇めたところ、将兵はその加護を受けたと伝えられている。
光秀首塚(2)
 「山門」と「本堂」との間、「本堂」に向かって左側に「光秀公首塚」(左の写真)がある。この首塚の正面は東向きになっている。

 明智光秀が豊臣秀吉の軍に山アの戦いに敗れ、坂本城に向かう途中、天正10年(1582年)6月に山科小栗栖で民衆に襲われ殺された。溝尾庄兵衛は光秀の首を隠しておき、後に光秀が生前に信仰していた本寺に運び懇ろに埋め葬ったとされている。

 「光秀公首塚」の石碑は安政2年(1855年)に光秀の怨念を鎮めるために建てられたといわれている。
楽寿観音像
 「光秀公首塚」の西、境内の西側に「楽寿観音像」(左の写真)が安置されている。

 この谷性寺は近畿楽寿観音霊場第二十五番札所になっている。

 「光秀公首塚」やこの「楽寿観音像」それに本堂の周辺には桔梗が植えられており、季節になると美しく咲き誇るようである。
山門
 境内東寄りに山門風の建物が建てられている(左の写真)。

 柱には「明智山門」及び「真言宗大覚寺派 清瀧山谷性寺」と書かれた二枚の木札が架かっている。この門は「光秀公首塚」の正面真東側に位置し、この門を通して首塚の正面が見えるので「明智山門」の名称が付けられたものと思われる。

 ただこの建物の中には木製の腰掛け様のものが置かれているので、
門というよりも休憩所のような感じがする。
小石仏
 境内東側は墓地になっているが、その一角に左の写真に見られるような小石仏群がある。

 この石仏群は室町時代に造られたものという。


 谷性寺は小ぶりの寺であるが光秀との因縁が深く、光秀を偲ぶのには格好の場所であろう。
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Yukiyoshi Morimoto