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滋賀県湖東三山「百済寺」

(近江最古級の古刹)


所在地及びアクセス:

 滋賀県東近江市百済寺町323

 百済寺へのバスの便(後述)はあるが便数は極めて少ない。最寄りの駅は近江鉄道の「八日市」駅であるが、「八日市」駅から百済寺まで約10kmあるので徒歩によるのは無理がある。従って、自家用車によるか又は最寄りの駅からタクシーを利用することになる。
 バスの便は近江鉄道「八日市」駅から「ちょこっとバス」が運行されており、これの「愛東線」北回りを利用する。「八日市駅」から約30分の乗車で「百済寺本坊前」に着く。このバスは八日市駅を10時00分(便番号5)、14時18分(便番号7)、17時13分(便番号9)に発車する3便だけである(バスの時刻は平日、土曜、休日全て同じ。平成26年4月1日改正)。上記のバスの時刻は平成27年4月現在のもので、利用される場合は東近江市役所(TEL:0748-24-1234)に時刻変更がないか確かめられることをお薦めします。
 紅葉の最盛期(11月22日〜11月31日)にはJR「彦根」駅から湖東三山連絡シャトルバスが運行されている。運行日及び時刻、運賃などは、湖国バス(TEL:0749-22-1210)に問い合わせるて下さい。

宗派:
天台宗

本尊:十一面観世音菩薩立像

開基:聖徳太子

縁起:
朱印
 百済寺は推古天皇の時代に聖徳太子の勅願により創建され、堂塔は百済国の「龍雲寺」を模して建てられ、落慶は高麗や百済の高僧によって行われたという。この付近は渡来人の秦氏一族が繁栄したところで、この寺も建立当時は日本に移り住んでいた渡来人の寺として建てられたもので、寺名もその名残りとされているようである。

 比叡山に天台宗が開かれた後、天養元年(1144年)に天台宗の寺院となる。以来、鎌倉時代から室町時代にかけて最盛期となり、三百坊を擁し僧俗合わせ1200人の人が寺域内に住する大寺院になったという。

 明応7年(1498年)に火災に遭い昔からの諸堂を焼失、更に文亀3年(1503年)には全ての諸堂、門前民家まで焼失した。その後、復興が進んだが天正元年(1573年)に織田信長の兵火に遭い全山灰燼に帰したが、奥の院に隠されていた本尊とわずかな仏像等は兵火に遭わず残されたという。

 江戸時代に入り本格的な復興が進んで、慶安3年(1650年)には本堂、仁王門などが竣工した。これが現在の建物である。

 なお、この寺の山号は「釈迦山」であるが、山号に釈迦の名が付く寺はこの百済寺だけで他にはないという。

境内諸堂等配置図:
境内諸堂配置図

見所など:
山門
 かつては極楽橋の手前にある大きな扉のついた門をくぐって境内に入り、極楽橋を渡って表参道を上り、石段の道を本堂まで上がり、お参りしたと思われるが、現在は多くの観光客は本坊の近くまで自家用車や観光バスで上がるのが普通になっており、極楽橋を渡り歩いて表参道を上がる観光客は殆どいないようである。

 右の写真は駐車場の傍にある百済寺に入る門であるが、現在ではこれが事実上の「山門」になっていると思われる。この門は思ったより簡素な造りである。
本坊と付近の紅葉
 上述の簡素な「門」をくぐり一寸右手に進むと広場に出る。広場の北側に左の写真でわかるような百済寺の建物が何棟か見られる。これらの建物の中に本坊、喜見院がある。

 これら喜見院の東〜北側に庭園がある。この庭園は天下遠望の名園との別称があり、近江の歴史舞台を一望し、百済国を偲ぶ一大パノラマ庭園とされている。
広場と表門付近の紅葉
 広場の西側から東の方向を見たのが左の写真で、広場の東側に見られる紅葉は見事である。写真中央に見られるのは入山料徴収の場所でその右側に写っているのは「表門」である。この門をくぐると本堂まで通じている参道に出ることが出来る。
庭園の紅葉(1)
 「表門」をくぐり直ぐに左折すると上述した庭園に出るが、周回通路が非常に狭いので紅葉の季節には混み合って、ゆっくりと落ち着いて観賞することが出来ない状態になることが多いようである。

 左の写真は「庭園」をやや高い場所、見はらし台から見たものであるが、庭園そのものがはっきりわからない。
庭園の紅葉(2)
 左の写真は「庭園」の背後の見はらし台から庭園の方向に向かって撮影したものであり、庭園そのものが見えない。ただ、この場所から庭園の方向を見た紅葉は見事である。
本坊背後の小高い所からの遠望
 「庭園」や本坊、喜見院背後の見はらし台から西の方向を見ると、近江平野の広がりを見ることが出来る(左の写真)。
表門と参道
 「表門」をくぐると石畳や石段で出来た「表参道」が東の方向に向かっており、仁王門、更に本堂まで達している。

 左の写真右側に見えるのが「表門」で「表参道」は手前の方向に向かって伸びている。
石段の参道
 左の写真は「表参道」の一部分である。写真で見られるように参道の多くは石段で作られており、その勾配は場所によってはかなり急である。
脇参道
 勾配の大きい石段を上るのが苦手な人のために「脇参道」が設けられている。

 左の写真は「脇参道」の一部であるが、写真で見られるように「脇参道」は石段ではなく単なる坂道である。「表参道」に比べて大きく遠回りになるが、勾配が小さいので急勾配の石段が苦手な人はこの「脇参道」を利用しているようである。

 写真ではハッキリしないが参道の両側にミツマタが群生している場所がある。このミツマタは自然に生育しているのかどうか明確ではないが、かなり多くの株数が見られる。ただ、ミツマタは脇参道の傍だけに生育しているわけでなく、本堂周辺や表参道の周辺にも見られることから自生しているものと思われる。
脇参道とミツマタ ミツマタ
 左の2枚の写真は「脇参道」で見られるミツマタである。
仁王門
 「表門」から170〜180mほど表参道を上がると「仁王門」(左の写真)に着く。

 写真に見られるように門の左右に大きな草鞋が架けられている。「仁王門」安置された仁王像は通常正面向きに置かれているが、この「仁王門」の仁王像は互いに向き合ったように安置されており珍しい。
本堂(1)
 「仁王門」をくぐると「本堂」が見えるが、「仁王門」から「本堂」まで更に約百段の石段を上がらなければならない。

 「本堂」の正面は西南西の方向に向かって建てられている。左の写真は「本堂」の右側面である。
本堂(2)
 左の写真で写真右側に写っているのが「本堂」である。写真はその正面を斜め横から撮影したため、正面はハッキリ分からない。

 「本堂」には平安後期に作られたとされている本尊の十一面観世音菩薩が安置されている。この本尊は織田信長の兵火から逃れることができた数少ない仏像の一つである。本尊には明応7年(1498年)の銘があり、明応の火災の直後に作られたものであると考えられている。但し、本尊は秘仏になっており、直接の拝観はできない。
本堂(3)
 左の写真は「本堂」の左側面である。

 写真で「本堂」の手前に写っている根元から沢山枝分かれしている樹は菩提樹で、樹齢は推定約1,000年であることから「千年菩提樹」と呼ばれている。
千年菩提樹
 左の写真は上述した「千年菩提樹」である。

 かつて、百済寺の「本堂」は現在の位置にあったのではなく、この菩提樹のある場所は旧本堂の前庭であると言われている。

 天正元年(1573年)4月7日に信長の軍勢により百済寺は焼き討ちに遭ったが、この菩提樹も焼損してしまったようである。ただ、根の部分が残っていたため焼けた幹の周囲から芽が出て蘇り、現在に至っている。根元中央部に直径約80cmの空洞があるが、これが焼き討ち当時の幹の直径に相当しているという。

 百済寺はその歴史は古いのに拘わらず、本尊など奥の院に隠されていたわずかの仏像、仏具を除いて貴重な文化財は殆ど失われてしまっており、湖東三山の他の寺に比べ文化財は少ない。これは、天正元年(1573年)の信長の軍勢による焼き討ちに遭って、全山灰燼に帰したことに起因している。

新規収載:2015年4月25日

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