ホーム > 我流観光スポット一覧 > 「黄浦公園と外白渡橋」 サイトマップ

上海「黄浦公園と外白渡橋」

 上海の最高の観光スポットの一つとされている外灘(バンド)(但し、私は外灘を最高の観光スポットとは思わない)の北端に「黄浦公園」がある。その公園の北側、呉淞江(蘇州河)に架かっている橋が「外白渡橋」である。

 黄浦公園、外白渡橋は共に一級の観光スポットになっていない。しかしながら、上海の近代史を知る上で欠かすことの出来ない意味を持つ場所であろう。
黄浦公園
 黄浦公園(左の写真)は1860年代にスコットランドの庭師によって造られた公園で、フェンスと夾竹桃で囲まれている。公園を造るに際し中国人の税金も使われたが、かつては、公園の入り口に「犬と中国人は立入禁止」の掲示があり、違反者がないかどうか警官が見張っていたといわれている。このことは、例えば上田賢一著、上海パノラマウォーク(新潮文庫、1987年)に記載がある。

 一方、上記の掲示の内容は誤りで、山崎九一著、上海共同租界法規全書(1926年)によれば、掲示には「この場所は外国人公共のための設置で、犬及び自転車を禁止する」というようなことが書かれていただけという。

 私は上記の上海共同租界法規全書を見たことはないし、掲示板の写真もないことから確認することは出来ないので、何れが正しいかはわからないが、一般的には前者が通説になっているようである。

 黄浦公園を北口から出ると外白渡橋南詰めである。下の写真はその地点から北側に向かって橋を撮影したものである。

 外白渡橋の意味について、二つの考え方があるようである。その一つは、「外国人は無料で渡れる橋」ということであり、もう一つは、「自由に渡る橋」である。両者で意味は異なっているように思えるが、歴史的には同義であろう。

 蘇州河に初めて橋を架けたのが、イギリス人であったが、西洋人からの通行料の徴収はルーズであり、中国人からは容赦なく現金で取り立てたという。これに対する中国人の反発が強く、市は誰でも無料で通行出来る橋を架けた。これが現在の外白渡橋であるとされている。その後、イギリス人の架けた橋は壊された。

 外白渡橋を渡った北側には上海大厦(2枚の写真背景に見える茶色の大きなビル)があり、その向こう側は旧日本租界の「虹口(ほんこう)」があったところで、第二次大戦以前にはここに多くの日本人が住んでいた。

 ディック・ミネの歌う
「夜霧のブルース」”♪青い夜霧に灯影が赤い/・・・/夢の四馬路(すまろ)か/虹口(ほんきゅ)の街か/・・・”という歌詞があるが、虹口は日本人の夢を誘った街であった。なお、四馬路は現在の福州路で当時の歓楽街であったという。虹口から四馬路に行くには外白渡橋を渡らなければならない。外白渡橋はガーデン・ブリッジとも呼ばれていた。ガーデン・ブリッジといえば年配の人は、やはり、ディック・ミネの歌で”♪涙ぐんでる上海の/夢の四馬路の街の灯/・・・/別れたね君と僕/ガーデンブリッジ/誰と見る青い月”という歌詞の「上海ブルース」を思い出すのではないだろうか。

 昭和一桁の時代から第二次大戦前までの上海は欧米や日本の租界となり、「魔都」といわれるほど魅力があり、繁栄し、夢を叶えてくれる可能性を持った都市だったようである。

 外白渡橋は建造されてから100年を経過しているため、かなり老朽化しており、最近はほぼ10年毎に補修されてきたようであるが、更に長期にわたり橋を保たせたいという理由からと思われるが、本年(2008年)4月にこの場所から撤去されて造船工場に移され本格的な改修が行われているようである。改修は約1年かけられて行われるとのことであり、改修が終わると橋は元の場所に戻されるといわれている。

2008年9月13日最終更新
我流観光スポット一覧のページへ戻る このページの先頭へ戻る