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八坂神社(祇園社)
(やさかじんじゃ(ぎおんしゃ))
八坂神社へのアクセス
八坂神社所在地図
 阪急京都線「河原町」駅下車、東の方向へ徒歩約7〜8分。
 京阪電車「四条」駅下車、東の方向へ徒歩約5分。
 JR京都駅前から京都市バス[206]系統「東山通・北大路バスターミナル」行き、又は[100]系統「清水寺祇園・銀閣寺」行きに乗車し「祇園
(ぎおん)」で下車する。バス停から八坂神社まで直ぐ。
 交通事情やバス便を考えると、阪急電車、京阪電車を利用する方がよい。

祭神と神話伝説

 素戔嗚尊(すさのをのみこと)櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)八柱御子神(やはしらのみこかみ)の三柱を祀っている。

 素戔嗚尊は伊弉諾尊
(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で、元々粗暴であり、天の岩屋戸事件を起こし高天原を追放される。追放された素戔嗚尊は出雲の国、簸川(ひのかわ)の上流に八つの頭と八つの尾をもった八岐大蛇(やまたのおろち)が住みついて民衆を苦しめているのを知る。彼はこの八岐大蛇を退治し、捕らわれていた櫛稲田姫を救い、大蛇の尾を割いて天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を得、この剣を姉の天照大神(あまてらすおおみかみ)に献じたという。櫛稲田姫は出雲の国の足名椎(あしなずち)・手名椎(てなずち)の娘で、後に素戔嗚尊の妃になり、八柱御子神(八王子)を生んだとされている。

神徳と伝説

 旅人に一夜の宿を提供しもてなした蘇民将来(そみんしょうらい)に、旅人は『蘇民将来子孫也』と書いた茅の輪を持っていれば、福が来て諸々の災難、疫病より子孫共々免れる、と言い残して立ち去った。この旅人こそ牛頭天王(ごずてんのう)即ち素戔嗚尊だったという。

 八坂神社は災難厄除け、家門繁盛の神様として知られており、『蘇民将来子孫者也』のお守りはこの伝説に由来しているようである。

由緒
朱印
 斉明天皇2年(656年)に朝鮮半島から渡来した八坂氏の祖先が、新羅の国牛頭山の素戔嗚尊の霊をこの地に移し、天智天皇6年(667年)に感神院としたのが創祀であるといわれている。また、貞観18年(876年)に僧円如(えんじょ)が牛頭天王(ごずてんのう)を迎えたのが創始であるともいわれているが、諸説があるようで本当のことはよくわからないらしい。

 八坂神社の祭礼として毎年7月に行われる祇園祭は有名であるが、かつては祇園御霊会とよばれていたようである。この祭礼は貞観11年(869年)に悪疫が流行したとき、牛頭天王を祀り災厄の除去を祈ったことが始まりであるとされており、1100年以上にわたって現在も受け継がれている。

楼門、鳥居
西楼門
 八坂神社には楼門が二ヶ所ある。左の写真はその内の一つである「西楼門」である。

 この「西楼門」は交通量の多い東大路通りに面しており、公共交通機関を利用して参拝に来た人は必ずといっていいほどこの門をくぐって入るので通行人の数は多いが、もともとは、この門は表門ではないらしい。

 「西楼門」は室町時代の築造といわれており重要文化財に指定されている。
南鳥居
 境内南側に「石造りの鳥居」(左の写真)が建っている。この「鳥居」は正保3年(1646年)の建造とされており、現存する石造りの鳥居では最大のものといわれている。

 これは元は三の鳥居であったようで、かつてはこちらが正門だったという。

 この
「鳥居」重要文化財に指定されている。
南楼門内側
 境内南側に立っている「鳥居」をくぐり、奥に進むと「南楼門」(左の写真:内側から見た南楼門)がある。

 この楼門をくぐって出入りする人は少ないようであるが、この門は本殿の正面にあり、もともとは、こちらが表門になるようである。

舞殿、本殿
舞殿
 「南楼門」をくぐると正面に「舞殿」(左の写真)が見える。

 本殿は1999年3月から修復工事が行われていたが、2002年4月の遷座までここが仮本殿に当てられ祭神が祀られていた。
仮本殿
 左の写真は「仮本殿」とされていたときの「舞殿」である(2002年1月撮影)。
本殿
 「舞殿」の奥側(北側)に「本殿」(左の写真)が建てられている。

 上述の通り、「本殿」は1999年3月から修復工事が行われていたが、この工事が2002年に完成した。
遷座予定
 2002年4〜5月には仮本殿から本殿への祭神の遷座及び遷座に関連する諸祭事が行われた(左の写真)。

 「本殿」は平安時代初期に藤原基経がこの地に観慶寺感神院を建て寺内に本殿を設けたのが始まりといわれており、現存の「本殿」は承応3年(1654年)に徳川家綱が紫宸殿を模して再建したものとされている。

 この「本殿」は「拝殿」と一つの屋根で囲われているようで、このような建築形式は『祇園造』と呼ばれているらしい。

本殿近景
 また、確認はできないが、この「本殿」は池の上に建てられているという。陰陽道によれば大地のエネルギーが集結する場所を龍穴と言うらしいが、古来より、本殿の下にある池が龍穴とされているという。この辺の話しになると伝説的になるのでよく分からない。

 「本殿」は、重要文化財に指定されている。

忠盛灯籠
忠盛灯籠
 「舞殿」の東側に「忠盛灯籠」と呼ばれている古い灯籠が立っている(左の写真)。

 永久年間(1113〜1118年)のある雨の日の夜、白河法皇が祇園の女に会いに行くためにこの辺りを通ったところ、前方に鬼のようなものが見えた。法皇はお供の平忠盛に、鬼のようなものを討ち取ることを命じた。忠盛は討ち取ることはせず生け捕りにしたところ、それは、祇園の社僧が灯籠に灯明を灯そうとしていたもので、雨具の蓑が灯明の光で銀の針のように見えたのであった。忠盛のとったこの思慮深い行動に人々は感嘆したという。

 この灯籠はその時の灯籠であるといわれている。

悪王子社
悪王子社
 「本殿」の東側に「悪王子社」(左の写真)が建っている。

 ここに祀られている祭神は「素戔嗚尊の荒魂」で、悪王子の『悪』とは『強力』の意味であり、荒魂は現実に姿を顕す霊験あらたかな神の意といわれている。神徳は諸願成就とされている。

 悪王子社は当初、東洞院四条下ル元悪王子町にあったが、諸方に何回か移築された末、明治10年(1877年)にここに移築されたといわれている。

美御前社
美御前社
 本殿の東側に摂社(?)「美御前社」(左の写真)が建っている。

 ここに祀られている祭神は美を象徴とするといわれている三柱の女神、「市杵島比売
(いちきしまひめ)神」「多岐理比売(たぎりひめ)神」「多岐津比売(たぎつひめ)神」とされている。

 古くから芸妓、舞妓をはじめ美しくなりたい願望の女性の崇敬を集めているようである。
八坂神社が祇園という土地にあることを再認識する社である。

刃物大神
刃物大神
 「本殿」の北側に「刃物大神(刃物神社)」(左の写真)がある。

 京都は古くから明治まで王城があり刀剣など刃物の製作に多くの名工を輩出し、刃物発祥の地として隆盛してきた。これら祖先の偉業を偲び、伝統を受け継ぎ、業界の振興を目的としてこの神社が建造されたという。

奉納提灯

 神社には直下の写真に見られるような提灯が奉納されている。
奉納提灯
 他の神社で見られる提灯とは異なり、八坂神社には上述の「美御前社」の場合と同じように、祇園という土地柄がよく出ている提灯を見ることができ、興味深い。
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Yukiyoshi Morimoto