ホーム > 名神大社二十二社一覧 > 梅宮大社 サイトマップ

梅宮大社
(うめのみやたいしゃ)
梅宮大社へのアクセス
梅宮大社所在地図
 阪急嵐山線「松尾」駅下車、改札口を出て直ぐ東(右)の方向に曲がり松尾橋を渡る。罧原堤四条交差点から市道嵐山祇園線(四条通)を東の方向に約400m進むと信号のある交差点に着く。梅宮大社への参道標識を見てその交差点を北(左)の方向に曲がり直進すると梅宮大社の鳥居が見える。松尾駅から徒歩約10分。

祭神

 本殿には次の四座が祀られている。
1)酒解神
(さけとけのかみ)[大山祗神(おおやまずみのかみ)]
2)その娘の酒解子神
(さけとけこのかみ)[木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)]
3)酒解子神の夫の大若子神
(おおわかこのかみ)[瓊々杵尊(ににぎのみこと)]
4)夫婦の子、小若子神
(こわくこのかみ)[彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)]

 相殿には以下の四座が祀られている。
1)橘清友公
(たちばなのきよともこう)
2)その娘の橘嘉智子皇后
(たちばなのかちここうごう)[檀林皇后(だんりんこうごう)]
3)その夫の嵯峨天皇
(さがてんのう)
4)夫婦の子、仁明天皇
(にんみょうてんのう)

由緒
朱印
 創祀についての詳細はよくわからないらしいが、約1300年前,橘諸兄(たちばなのもろえ)の母三千代が山城国綴喜郡の井手寺内に橘氏一族の氏神として、酒解神など四神を祀ったのが創祀とされているようである。

 その後、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(檀林皇后)によって現在の地に移されたという。

 梅宮大社は延喜式の名神大社として松尾大社と共に、かつては洛西の地で大いに栄えたらしいが、橘氏の衰亡や戦火などに遭い衰えたといわれている。

 大山祗神は木花咲耶姫命が彦火々出見尊を出産したのを喜び狭名田の稲で酒を造ってお祝いしたという。これが酒造りの始まりとされている
ようで、大山祗神を酒解神といわれるのはこれに由来しており、梅宮大社は醸造祖神を祀る神社とされている。

神徳、伝説

 木花咲耶姫命は瓊々杵尊と結婚すると一夜にして懐妊したが、これを瓊々杵尊が疑う。この疑いを晴らすため、木花咲耶姫命は砂の上に室屋をつくり、自身の貞節を天地神明に誓いその中に入り火を放ったが、炎の中で何の支障もなく彦火々出見尊を安産したという。

 この言い伝えにより、橘嘉智子皇后が懐妊したとき社殿の砂を床の下に敷いて仁明天皇を出産したが安産だったとされている。


 何ともものすごい凄惨な伝説であるが、梅宮大社は「子授け、安産の守護神」として知られている所以はここにあるとされている。

 相殿に祀られている嵯峨天皇は日本三筆の一人であり、橘氏は日本最初の学校を創設した人でもあることから、「学業成就祈願」の神社として、また、仁明天皇は横笛の名手であったこと、我が国で最初に雅楽を作曲した人として知られていることから、「音楽芸能の神」を祀る神社としても知られている。

見所など:
一の鳥居
 バスの通っている通りから北の方向に曲がり少し進むと石造りの「鳥居」(左の写真)が建っている。

 ここから奥が境内と思われるが、この鳥居から次の鳥居までの間の参道には一般の民家や店舗もあり珍しいのではなかろうか。
二の鳥居
 最初の鳥居をくぐり奥に進むと楼門の手前に赤く塗られた「鳥居」(左の写真)が建っている。

 この赤く塗られた「鳥居」は建てられてからあまり時間が経過しておらず、見た目にも真新しい。
楼門
 赤く塗られた鳥居をくぐると直ぐに「楼門」(左の写真)に着く。神社の規模はそう大きいものではないが、それに比較してこの「楼門」は大きく堂々としている。

 写真でもわかるように楼門の上、屋根の直ぐ下に三十個ほどの酒樽が置かれているが、由緒の項に記載したように梅宮大社には醸造祖神が祀られており、これに由来しているのであろう。
拝殿
 「楼門」をくぐると正面に「拝殿」(左の写真)が見える。

 「楼門」と同様、この「拝殿」も神社の規模から見るとかなり大きな造りである。屋根のもつ曲線がこの建物を優美な姿に見せている。

 「拝殿」、「楼門」共に文政11年(1828)年に造営されたものといわれ、何れも
京都府登録文化財である。
釣殿、本殿
 「拝殿」の奥に「拝所」と「回廊」(左の写真)が建てられているが、「拝所」の規模は「拝殿」に比較してかなり小ぶりである。
 
 「拝所」、「回廊」の奥側に屋根だけ見えているのが「本殿」である。
本殿
 「拝所」から奥の「本殿」を見たのが左の写真である。

 現存の「本殿」は元禄13年(1700年)に建造されたものといわれているが、その後何回か改修されているものと思われる。

 「本殿」は
京都府登録文化財である。

 「本殿」の向かって右側(東側)には摂社の若宮社、左側(西側)には同じく摂社の護王社がある。
奉納絵馬列
 「拝所」の左右に建てられている「回廊」に沿って多数の奉納絵馬がかけられている(左の写真)。

 絵馬に書かれた願い事の殆どは『子授け』と『安産』であり、当神社の神徳にあやかっている。
奉納絵馬(1)  左の写真は子授け願いの絵馬の一例であり、遠く福岡県の人が奉納している。
奉納絵馬(2)  左の写真は子授けの願いが叶ったお礼と安産の願いを書いた絵馬の一例で、このようにお礼と願いを記した絵馬も数多い。これも遠く東京の人が奉納したものである。
またげ石
 本殿東側に摂社、若宮社が建っているが、その傍に「またげ石」(左の写真)と名付けられた石が置かれている。

 これはやや平たい石の上に玉子形の石が二個置かれている奇妙なものである。子宝に恵まれないものは、夫婦そろって祈祷を受けた後、この石をまたげば子を授かるといわれているようである。

 「またげ石」はその形状、石をまたぐということなど何となくエッチぽいところがある。神話や神様はエッチなことが好きなようであるから、これでいいのかもしれない。
神饌所横の梅
 後述するように境内神苑内には梅林があるが、神苑外にも何本かの梅の木が植えられている。

 左の写真は「拝殿」の東側にある「神饌所」傍の梅の木であるが、2月下旬〜3月上旬の梅の花の咲く季節には盛大に花をつける。

 この梅の木の傍に「神苑」入口があり、東神苑から北神苑を経て西神苑にある出口まで「神苑」が拡がっている。
神苑東側の庭園
 「神苑」の東側部分は大堰川の水がひかれた池を主体としており(左の写真)、カキツバタが多く植えられている。このカキツバタは有名で、この付近はカキツバタの群生地として昔からよく知られていたようである。

 写真中央の建物は嘉永4年(1851年)に造営されたといわれている「池中亭茶室」である。
神苑内梅の木
 上述のように神苑の東側部分は池が主体になっているが、数少ないながら左の写真のように梅の木も植えられている。

 左の写真で背景に写っている濃茶色の屋根の建物は神苑への入り口になっている門である。
梅林(1)  神苑の北側から西側にかけて神苑内の遊歩道に沿って多数の梅の木が植えられており、梅林を形作っている(左の写真)。
椿(赤腰蓑)  神苑内には所々に椿の木が植えられており、春には花をつける。

 左の写真は神苑西側に植えられている椿の花で、珍しい形の花である。赤腰蓑という名前の椿と思われる。
名神大社二十二社一覧のページへ戻る このページの先頭へ戻る

Yukiyoshi Morimoto