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住吉大社
(すみよしたいしゃ)
住吉大社所在地図 住吉大社へのアクセス

 南海電鉄南海本線「住吉大社」駅下車、東の方向へ徒歩約3分。
 恵美須町から阪堺電軌阪堺線「浜寺公園行」に乗車し、「住吉鳥居前」で下車、東の方向へ徒歩約1分。
 天王寺駅前から阪堺電軌上町線「住吉公園行」に乗車し、「住吉公園」で下車、東の方向へ徒歩約3分。
 電車の乗車時間を考えれば、南海本線を利用するのが最も便利である。


祭神

底筒男命(そこつつのをのみこと)
 第一本宮に祀られている神様。
朱印
中筒男命(なかつつのをのみこと)
 第二本宮に祀られている神様。

表筒男命(うわつつのをのみこと)
 第三本宮に祀られている神様。

息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)[神功皇后(じんぐうこうごう)]
 第四本宮に祀られている。

 底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神を合わせ住吉大神と呼ばれているようである。


由緒、神徳

 神功皇后が新羅遠征を行ったとき、住吉大神が現れ、その加護により大いに国威を発揮したため、戦勝と海上交通安全を祈って住吉大神を田裳見宿禰(たもみのすくね)に祀らせたという。これがこの神社の創始とされているようである。

 後に、神功皇后自身も『私も大神と一緒に住む』といって祭神に加えられたといわれている。
鳥居
 住吉大社は氏神としての性格を持っておらず、従って、太古の昔から朝廷との関わりが深かったという。

 住吉大神は禊祓(みそぎはらい)の神格をもって出現したとされており、神道で重要な『お祓い』を司る神とされている。また、海上安全の守護神、和歌の神とされており、産業、文化、貿易の祖神として信仰されているようである。


 神徳は上述のように、漠然とした分かり難いものから、具体的に分かり易いものまで多岐にわたっている。お祓いの神様というのも我々素人にとって何となくつかみ所がないような印象を受ける。
反橋
鳥居、反橋

 電車を降り、阪堺電軌の通っている道路を横断し、大きな石造りの「鳥居」(直上の写真)をくぐり、東の方向に進むと住吉の象徴として有名な通称太鼓橋といわれている「反橋(そりばし)」(左の写真)に着く。

 反橋の石の橋脚は慶長年間(1596〜1615年)に淀君が奉納したものといわれている。

 この反橋の勾配はかなり大きく、お宮参りの子供を抱いた母親や祖母が恐る恐る階段状に造られた橋を渡っている光景をしばしば目にする。

 反橋を渡って石段を上がったところに、「鳥居」(直下の写真)が立っている。
住吉鳥居
 この鳥居は「住吉鳥居」とよばれているもので、柱の断面が通常の鳥居のような円形でなく、方形であり珍しい。

 鳥居をくぐると、直ぐ「楼門」があり、広場を隔てて楼門の東側に「第三本宮」が建てられている。


本宮(本殿)

 「第三本宮」の東側に「第二本宮」、更に東側に「第一本宮」が直線的に配置されており、「第三本宮」の南側に「第四本宮」が建てられている。
第二本宮
 本宮は何れも西側を正面とし、正面に拝殿が付けられている。普通、神社の本殿は南又は東向きに建てられているので、ここの西向きの本宮(本殿)は珍しい。神社の成り立ちから見て、海に向かう西側を正面にしたものと思われる。

 左の写真は「第二本宮」を、直下の写真は「第四本宮」を東南側(裏側)から見たものである。

 写真でもわかるとおり、千木(ちぎ)の上端の切り方以外、四つの本宮は全く同じ造りになっている。この造りは「住吉造」と呼ばれているようで、神社建築史上最古の特殊な様式という。
第四本宮
 千木(ちぎ)は屋根の上に飾られているX状の木(実際には、木は銅板で覆われている)のことである。

 直上の「第二本宮」の写真でもわかるように、第一〜第三本宮の千木は上端が垂直に切られているが、左の写真に見られるように「第四本宮」の千木は水平に切られている。

 この理由はよくわからないが、第一〜第三本宮に祀られているのは男神であるのに対し、第四本宮に祀られているのは女神であることによるという説もあるらしい。

 現存の本宮(本殿)は文化7年(1810年)に建立されたものといわれており、「第一、第二、第三、第四本宮」全て国宝に指定されている。
第二本宮の礼殿
拝殿

 左の写真は第二本宮(本殿)の西側に付けられている「拝殿」である。

 四つの本宮それぞれに拝殿が付けられているが、拝殿も本宮と同様、全て西側が正面となっており、造りは四つの拝殿全て同じである。この拝殿の正面から本宮に向かって遙拝する。
五所御前(1)
五所御前

 第一本宮の南側に石の玉垣に囲まれ、内に杉の木が植えられている「五所御前」と呼ばれている場所がある(左の写真)。

 かつて、神功皇后が住吉大神を祀る地を決めるとき、この杉の木に鷺が三羽とまったのを見て、大神がこの地を望んでいると考えここに大神を祀ることに決めたと伝えられている場所で、「高天原(たかまがはら)」とも呼ばれているという。
五所御前(2)
 五所御前の玉垣内は玉石が敷きつめられてあり、玉石の幾つかには『五』、『大』、『力』のいずれか一文字が書かれている。

 左の写真のように、字の書かれた玉石を探している人を多数見かけるが、字の書かれた玉石の数は少なく、簡単には探し当てられないようである。

 それぞれ、五、大、力と書かれた三つの玉石を集めると『五大力』即ち、体力・智力・福力・財力・寿力の徳を一願叶えてくれる心願成就のお守りになるとされている。
石舞台
石舞台、南門

 五所御前の南側に「石舞台」がある(左の写真)。

 この
「石舞台」は日本三大舞台の一つといわれており、慶長年間(1596〜1615年)に豊臣秀頼の寄進によるものとされ、重要文化財に指定されている。

 石舞台の南側、写真では石舞台の奥側に「南門(四脚門)」が見え、門に続いて「楽所」が一部見える。何れも豊臣秀頼の寄進といわれており、
「南門」、「楽所」ともに重要文化財に指定されている。 
住吉大社文庫
住吉文庫

 第一本宮の北側に土蔵様の二階建ての建物「住吉文庫」が建っている(左の写真)。

 住吉文庫は享保8年(1723年)に大阪、京都、江戸の書店が勝運発展を願って建立し、寄進した書籍を納めていたという。この住吉文庫は大阪最古の図書館としてよく知られている。


摂社、末社

 住吉大社には数多くの摂社・末社があるが、本社の北側にある「大海神社」が本社に次いで神格の高い神社として有名である。大海神社の本殿は本社の本殿と同じ住吉造で重要文化財に指定されている。
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Yukiyoshi Morimoto