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大和神社
(おおやまとじんじゃ)
所在地及びアクセス

 奈良県天理市新泉町星山
大和神社所在地図
 JR桜井線「長柄(ながら)」駅下車。
 駅の直ぐ南側の道路を東の方向に進む。300m余り歩いた後、右折し南の方向に細い道を進むと神社の横に出る。これが、神社への近道になる。
 鳥居をくぐり正式な参道を通り参拝するには、駅の直ぐ南側の道路を東の方向に500m余り進み、次いで交差点を右折し南の方向に進む。約200m進むと右手に大きな鳥居があるので、これをくぐると大和神社の参道になる。
 駅から神社まで近道を通れば徒歩約10分。
 JR桜井線の運転頻度は昼間時、1時間に2便。

祭神、神徳
朱印
日本(大和)大国魂大神(おおやまとおおくにだまのおおかみ)
 大和神社の主神で三殿の中央の社に祀られている。
 この神は大和平野に鎮座する神々の主神であり、日本の大地主大神
(おおことぬしのおおかみ)とされており、
地上地下万物の生育発展、人間及び生物の生命を司っている偉大なる神格に坐しているという。

八千戈大神
(やちほこのおおかみ)
 三殿の向かって右側の社に祀られている。健康増進、家門繁栄、国内平穏、民族和平を守り、勝ち運を授ける神とされているようである。

御歳大神
(みとしのおおかみ)
 三殿の向かって左側の社に祀られている。五穀豊穣、殖産工業発展を司る神といわれている。

 大和神社は土木建築・地鎮祭の全国総本社とされているようである。


由緒、伝説

 崇神天皇の代、国内に疫病が蔓延したため、宮中に祀られていた天照大神と日本大国魂大神の神威を畏れ二神を宮中から外に出し祀ることにした。崇神天皇6年(今から二千数十年前)に日本大国魂大神を皇女渟名城入姫(ぬなきいりひめ)に祀らせたが、後に、市磯長尾市(いちしのながおいち)を祭主としたところ国家は安泰になったという。

 以上が大和神社の創祀とされているようであるが他にも諸説あるといわれている。何れにしても非常に古い神社であることには変わりないようである。大和神社の由緒略誌と説明板で『日本』と『大和』が混同して使用されているが、これはかつて、大和は即日本であると言う認識があった名残であろう。

 当初、日本大国魂大神は現在の神社のある場所の東方の山麓に祀られていたらしいが、後に現在の地に移されたとされている。移された時期については平安時代から江戸時代元禄まで諸説があり、よくわからないという。

 大和神社は森(橘森と呼ばれている)に囲まれているが、この森には霊鶏が住んでおり、これを食べた人は長生きをするという言い伝えがあったようで、上古の天皇は異常な長寿であったとされているが、これはこの霊鶏を食したことによるという。

 また、第二次世界大戦で有名になった戦艦大和にはこの神社の分霊が祀られていたといわれ、時々艦長以下幕僚が参拝に訪れていたらしい。
ただ、戦艦大和の運命から見て霊験があったようには思えないが・・・。

神社の案内標識石柱と鳥居
神社標識石柱
 左の写真に見られる神社名を刻んだ「石柱標識」は国道169号線の道路沿いに建てられているもので、写真中央右寄り奥に見える木立は大和神社の境内である。

 この石柱は見た目に可成り新しく、最近建てられたものと思われる。車で参拝するときは、この場所から西側(写真では奥の方向)に真っ直ぐに進むことになる。
一の鳥居
 アクセスの項に記載した方法の内、参道経由で参拝した場合、最初にくぐる鳥居はこの「一の鳥居」(左の写真)である。

 「一の鳥居」は古い由緒のある神社の鳥居らしく、規模は大きく立派である。
二の鳥居
 「一の鳥居」をくぐり、西の方向に進むと「二の鳥居」(左の写真)が建っている。

 「二の鳥居」の手前に『下馬』と書いた立て札が立てられているが、車で参拝にきた人でこの場所で下車する人はまず居らず、更に奥まで車で乗り入れている。
車は馬と違うから『下馬』を無視してもよいのか・・・。

拝殿
拝殿遠望
 「二の鳥居」をくぐり、更に奥(西)の方に進むと行く先に「拝殿」(左の写真)が見える。
拝殿
 「拝殿」(左の写真)は由緒のある神社にふさわしく、かなり大きく、優美な感じのする造りになっている。

本殿(正殿)
拝殿を通してみた本殿
 「拝殿」の奥に「本殿」が建っている。左の写真は「拝殿」を通して見た「本殿(正殿)」である。

 本殿は宮中三殿式といわれる特異な造りとされており、三つの社からなっているが、左の写真では中央の社が拝所の後ろにあり、見えない。
本殿
 左の写真は「拝殿」の横から見た「本殿(正殿)」である。

 この写真では拝所の奥に中央の社と左側の社の屋根が見える。上述のように「本殿」は宮中三殿式とされているがこの場所からは特異な造りを確認することは困難である。

末社、祖霊社
祖霊社
 「拝殿」の手前の広場北側のやや奥まった場所に末社の「祖霊社」(左の写真)がある。

 ここには国土の主と称えられている大国主命のほか、第二次世界大戦で戦艦大和と運命を共にした2717柱の英霊、それに沖縄決戦で戦没した巡洋艦矢矧
(やはぎ)を中心とする第二水上特攻隊の3721柱の英霊が合祀され国家鎮護の神として祀られている。

摂社、高おおかみ神社
高おおかみ神社
 「拝殿」の南側の奥まった場所に摂社の「高おおかみ神社」(左の写真)がある。

 「高おおかみ神社」には水源の神様である水師大神が祀られている。水師大神は崇神天皇の代に穂積長柄岬(現在の新泉星山)に創祀されたという。

 神徳は天候、産業を司り水利を授けるとされ、祈雨、祈晴、暴風雨除けを祈る人は多く、例祭の6月1日には多くの参拝者が遠方から訪れるようである。

 社は江戸時代の建立とされ、古代の伊勢神宮と同じ建築様式が採用されているという。


大和神社について

 神社の例祭(大祭)として毎年4月1日に通称チャンチャン祭りが行われるとされ、その時は多くの人が神社に参拝するようである。

 近くにある「石上神宮」や「大神神社」は通常時でも参拝客が多いようであるが、これらの神社に比べ大和神社は参拝客が少ない。

 大神神社などは参拝客というよりも単に観光の目的で訪れる人も多いようで、古い神社という他に観光的要素の殆どない大和神社を訪れる人が少ないのも当然かも知れない。

2004年5月24日更新
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Yukiyoshi Morimoto