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大原野神社
(おおはらのじんじゃ)
神社へのアクセス:
大原野神社所在地図
 阪急京都線「東向日」駅下車。駅前のバス停から阪急バス[5系統]「南春日町」行きに乗車し、終点の「南春日町」で下車する。バス停から西の方へ一寸進み、突き当たりの三叉路を左にとる。道の辻には行き先を示す標識があるのでそれに従って進めば道路右手に大原野神社の一の鳥居が見える。
 「南春日町」バス停から「大原野神社」まで徒歩約15分。
 「南春日町」行き[5系統]阪急バスの「阪急東向日」発車時刻は8:00〜17:00の間について次の通り(2002年4月現在)。
平日 土曜日 日曜日・祝日
08 14 39 17 46 15 46
09 40 40 40
10 40 05 40 05 40
11 30 40 40
12 45 05 40 05 40
13 40 40 40
14 -- 05 40 05 40
15 00 05 45 05 45
16 20 35 35

祭神、伝説:

 以下の4柱の祭神がそれぞれ第一殿〜第四殿に祀られている。

建御賀豆智命
(たけみかづちのみこと)
 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原(たかまがはら)から降りてきたとき、出雲地方は大国主命により支配されていた。建御賀豆智命は大国主命と交渉し、出雲地方を譲り受けることに成功したため、建国の臣とされたという。後に、茨城県の鹿島に鎮座され蝦夷征伐軍の守護神として崇められたとされている。

伊波比主命
(いわいぬしのみこと)
 千葉県の香取に祀られている武功の神であるとされている。

天之子八根命
(あめのこやねのみこと)
 中臣氏の先祖といわれ、中臣氏が藤原氏になり繁栄しだしてから藤原氏の氏神として祀られるようになったといわれている。

比淘蜷_
(ひめおおかみ)
 天之子八根命の后とされている。

由緒:
朱印
 桓武天皇が延暦3年(784年)に都を奈良から長岡京に遷都したとき、皇后の藤原乙牟漏(ふじわらおとむろ)が藤原氏の氏神である奈良の春日大社の分霊を大原野に移し祀ったのが、神社の創祀であるとされている。

 大原野が選ばれたのは、天皇が鷹狩りが好きで、しばしばこの地に鷹を放たれていたこと、風景が美しいこと、などによるといわれている。

 その後、嘉祥3年(850年)に文徳天皇が祖父、藤原冬嗣の願望をかなえ、社殿を造営し大原野神社と命名したという。大原野神社は藤原氏の勢力が大きかった時期には、皇族貴族の参詣が盛んで、大いに栄えたといわれている。

 また、藤原氏の一族に女の子が産まれると、中宮や皇后になれるようにお詣りしたようで、女の子が祈願通りの地位につくと絢爛華麗な行列を整えて参拝したという。

 その後、戦乱が相次ぎ、藤原氏の勢力の衰えに従い神社も衰微したようであるが、慶安年間(1648〜1652年)に社殿が新しく造営され、持ち直したとされている。現存の社殿はその時に造営されたものといわれている。

神徳:

 大原野神社は京都御所の方位を護る方除けの神様として、また、政治の神様、知恵の神様として信仰が厚いという。

 それに、娘に良縁を授けてくれる神様としても信仰されているようである。これは、
藤原氏一族に女の子が産まれると、中宮や皇后になれるようにとこの神社に祈願したことに由来しているのであろう。

一の鳥居:
一の鳥居
 車の往来する道路に面して「一の鳥居」(左の写真)が建てられており、徒歩で参拝にきた場合はここから境内に入る。

 鳥居は石造りで、大きさも通常見られる程度であり、見たところ平凡な感じである。

参道を奥へ:
参道
 「一の鳥居」から「二の鳥居」、次いで「三の鳥居}(後述)への参道は、春は桜で(左の写真)、秋は紅葉で彩られる。

鯉沢の池:
鯉沢の池(1)
 「二の鳥居」をくぐり参道を奥に進むと「三の鳥居」の手前右手に「鯉沢の池」が見える

 左及び直下の写真は秋、紅葉の季節の「鯉沢の池」である。

 この「鯉沢の池」は奈良の猿沢池を模して文徳天皇が造ったとされている。
鯉沢の池(2)
 この池にカキツバタや水蓮の花が咲くころは最も美しいといわれているが、秋も紅葉が美しい。ただ、花の咲かない冬の季節にはお世辞にも美しい感じがする池とはいえない。

 池の傍に茶店があるが、冬季は閉店されているようである。

瀬和井:
瀬和井
 参道に密接して左手に「瀬和井(せがい)と呼ばれ、名泉とされている井戸がある(左の写真)。

 「瀬和井」は清和天皇産湯の清水といわれており、かつて、幾つかの歌に詠まれているほど有名であったようである。

 大伴家持が詠んだ『大原やせがいの水を手にむすび鳥は鳴くとも遊びてゆかん』などがよく知られている。

 現状の「瀬和井」には水は溜まっているがきれいとは言えず、また、水が湧き出ているようには見えず、名泉といわれた頃の面影を偲ぶことはできない。

千眼桜:

 「鯉沢の池」の奥側、参道の右手に「千眼桜」と名付けられた一本の桜の木が植えられている(直下二枚の写真)。桜の花の咲く季節には見事な花をつける。「千眼桜」の名称の由来についてはよくわからない。
千眼桜(1) 千眼桜(2)

三の鳥居、拝殿:
拝殿遠望
 「瀬和井」、「鯉沢の池」、「千眼桜」を見ながら奥へ進むと鮮やかな朱色に塗られた「三の鳥居」があり、奥に「拝殿」が見える(左の写真)。
拝殿
 「拝殿」は左の写真で見られるように特に変わったものではなく、その規模も大きなものではない。格式のある神社ということでもっと大きい堂々とした拝殿を想像していたのであるが・・・。

鹿の狛犬

 拝殿の前にある狛犬は、怒りの表情をした犬か獅子が普通であるが、大原野神社の拝殿の前にある狛犬はあまり例を見ない「鹿の狛犬」であり、向かって左側が雌鹿、右側のが雄鹿である(直下の写真)。
狛犬(左) 狛犬(右)
 全く怒りの表情のない鹿の狛犬は、この神社の持つ全体的な雰囲気を女性的なムードに仕上げている。これも、この神社の創祀が皇后の意志に基づいたことに由来しているためだろうか。

本殿
本殿(1)
 左の写真は拝殿から見た本殿の一部であり、奥に二つの社が見えている。
本殿(2)
 直上の写真に見られる二つの社の向かって右側に左の写真に見られるような拝所があり、更にその右側に二つの社がある。

 以上、合計四つの社が本殿になっており、祭神の項に記載した四柱の祭神がそれぞれの社に祀られているようである。
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Yukiyoshi Morimoto