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丹生川上神社 上社
(にうかわかみじんじゃ かみしゃ)
上社へのアクセス
丹生川上神社上社の所在地図
 近鉄吉野線「大和上市」駅下車。駅前のバス停「上市駅」から奈良交通バス「湯盛温泉杉の湯」行きに乗車し、終点で下車する。
 なお、季節によっては「大台ヶ原」行きの特急バスが出ているので、これに乗車し「湯盛温泉杉の湯」で下車してもよい。
 「湯盛温泉杉の湯」行きのバスには「樫尾」経由と「国樔」経由の2ルートがあり、前者のルートによるバスの所要時間は約35分、後者のルートによるそれは約1時間であり、大きく異なる。運賃は両ルートとも片道950円で割高感がある。
 「湯盛温泉杉の湯」停留所から左斜め天川村方面への登り坂道を道なりに進むと、徒歩約15分で道右側の石垣の上にある丹生川上神社上社に着く。
朱印  「上市駅」から「湯盛温泉杉の湯」行きのバス発車時刻(8:00以降)は次の通り。
 8:05(樫)、8:39(樫)、8:56(国)、9:55(樫)、10:26(国、土日祝日は10:35)、11:25(樫)、12:25(国)、13:25(樫)、14:25(国)、15:25(国)、16:25(樫)、17:25(国)、18:25(国)。
 上記、樫は樫尾経由、国は国樔経由を表す。曜日の指定のないものは平日、土日祝日とも同じ。時刻、運賃など2000年9月現在。


祭神、神徳

たかおかみのかみ
 祭神名を漢字では直下の写真のように書く。祭神は『龍神さま』ともいわれており、水源の大神とされている。後述するが、当神社の由緒から考え、上社の祭神は下社の祭神と名前は違っていても同一の神様であり、中社の神様も同一の神様と推測される。

 古来から祈雨や止雨の神様として崇敬をあつめていたようである。


由緒

 丹生川上神社は本来一社である筈であるが、現在、三つの神社が丹生川上神社を名乗っており、それぞれ、上社、中社、下社と呼ばれている。三社の内、何れが本来の丹生川上神社であるかについては明確でないようである。
鳥居額
 丹生川上は上古の神武天皇の代から祭祀を行う聖域であったようで、白鳳4年(675年)に天武天皇は、たかおかみのかみから『人声の聞こえない深山、吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて祀れば天下のために必要な雨を降らし大雨を止めるであろう』という神宣をうけ、創祀されたと伝えられている。当然のことであるが、創祀の経緯は丹生川上神社下社のそれと全く同じであり、丹生川上神社中社のそれとも基本的に変わるところはない。
 
 奈良時代から室町時代にかけて朝廷からの崇敬が篤く、祈雨、止雨にとどまらず、国家、朝廷の大事に際し奉幣が行われたといわれている。しかしながら、応仁の乱(1467年)以降は奉幣も中止になり、神社の存在さえもわからなくなってしまったという。
周辺環境
神社の遷座と遺跡

 丹生川上神社上社は平成10年3月までは吉野川の河畔に樹木を茂らせた場所に鎮座していたのであるが、大滝ダムの建設に伴い、神社が水没することになり、山の中腹である現在の地に遷座(移転)した。

 左の写真はかつて上社が鎮座していた場所周辺の環境である。写真ほぼ中央やや下に、僅かに吉野川が見えるが、その右に一寸した台地状に見える場所にかつて上社が鎮座していたようで、ダムが完成すると旧境内は湖底に没してしまうという。

 遷座に伴い、旧境内の発掘調査が行われた結果、旧本殿の下から11世紀末以前に遡る石敷き祭壇が出土したようで、最古の神社関連遺構とされている。また、旧境内付近で、約四千年前の縄文時代の祭祀跡とみられる遺跡が発掘されているようである。
神社名石碑
神社名

 天川村に通じている道路から神社に通じている石段があり、この石段のかかりに神社名を刻んだ石碑が建てられている(左の写真)。これには小さい字であるが『上社』の文字が見える。また、朱印にも上社の文字が墨筆されており、『丹生川上神社上社』がこの神社の正式名称になっているようで、『丹生川上神社』を正式名称としている中社との違いがある。

 既述のように丹生川上神社には上社、中社、下社の三社があるが、どのような経緯で上、中、下の名称が振り分けられたのかはわからない。勿論、名称と神社の格とは無関係である。

 上社は他の二社とは異なり、自社が本来の丹生川上神社であると主張していない。本来の丹生川上神社は何れであるかわからない、という見解をとっている。
鳥居
鳥居

 石段を上がると一寸した広場があり、そこに石造りの「鳥居」が立てられている(左の写真)。「鳥居」の立っている場所は天川村に通じている道路からかなり高い位置にあり、道路から九十九折りの石段がつけられている。

 鳥居に掲げられている石製の額には当神社の祭神名が刻まれている(祭神名を記した写真参照)。

 「鳥居」をくぐると更に石段があり、それを上ると神社拝殿前の広場に出る。
拝殿
拝殿

 石段を上がった広場の奥に「拝殿」が建てられている(左の写真)。

 神社は平成10年3月にこの場所に遷座されているため、「拝殿」に限らず、建物は全て新しい。
当神社は遷座して間もないため致し方がないが、由緒のある神社の建物は古い方が似合っているように思う。
旧境内の神木の幹
神木の幹

 左の写真は「拝殿」の前右側に置かれている旧神社境内にあった御神木杉の木の幹を輪切りにしたものである。この御神木の樹齢は約600年といわれている。

 旧神社境内には、このような杉の木が6本、檜の木が3本、榧の木が2本、その他、楠、榊、椿の木等が林立していたようである。

 なお、檜の木は伊勢神宮内宮から拝戴の古材と共に新神殿の用材として使用されたといわれている。
神馬像
馬の像

 拝殿前には通常神社で見ることのできる狛犬はなく、代わりに馬の像が置かれている(左の写真)。

 これは、かつて奉幣に際し、祈雨の場合には黒馬を、止雨の場合には白馬を奉るのを常としていたことに因んでいるものと推測される。


 現在では、祈願に際し、絵馬を奉納する風習が全国的に普及しているが、これは生馬の奉納を簡略化したもので、その起源はここにあるのではなかろうか。
本殿
本殿

 「拝殿」の奥に「拝殿」に接して「本殿」が建てられている(左の写真)。

 「本殿」の屋根上には千木の他に五本の鰹木(かつおぎ:屋根の上に付けられている丸太状の木)が見える。鰹木の数については謂われがあるらしいが、当神社の「本殿」の鰹木が五本であることの意味はわからない。


末社

 拝殿の右手やや奥まった場所に4社の末社が置かれている。

 山、森林の守護神を祀っている山之神社、真清水の守護神を祀っている水神社、産業の守護神を祀っている恵比須社、火の守護神を祀っている愛宕社の4社である。
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Yukiyoshi Morimoto