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松尾大社
(まつおたいしゃ)
松尾大社へのアクセス
松尾大社所在地図
 阪急嵐山線「松尾」駅下車。駅出口を出ると西側(左手)に松尾大社交差点があり、交差点の向こう側に大鳥居が見える。大鳥居をくぐり道なりに西の方向へ進む。「松尾」駅から「松尾大社本殿」まで徒歩約5分。

祭神

大山咋神(おおやまぐいのかみ)
 上賀茂神社の祭神、賀茂別雷命の父神。山の上に鎮座し、山及び山麓一帯を支配している神様であり、比叡山と松尾山を支配する神様だったといわれている。

市杵島姫命
(いちきしまひめのみこと)
 福岡県の宗像大社に祀られている三女神の一神で、海上守護の神様といわれている。別名は中津島姫命
(なかつしまひめのみこと)

由緒、神徳と伝説
朱印
 松尾大社は賀茂神社と並び京都最古の神社といわれている。

 現在の松尾大社の後方にある松尾山中頂上近くにある巨岩を信仰の対象とし、一帯の住民の守護神としたのが神社の起源とされているようである。

 朝鮮から渡来した秦氏がこの地に移住し、農業や林業を興したが、大宝元年(701年)に現在の地に社殿を建立し、一族が社家をつとめたという。

 平安遷都以後は皇室鎮護の社となり、行幸も数十回行われたとされ、貞観8年(866年)には正一位の位が与えられたといわれている。

 中世以降、醸造の神様として、全国の酒造家などから信仰を集めている。これは、天平5年(733年)に社殿背後より泉が湧き出たとき、『この水で酒を醸すとき福が招来し家業繁栄する』との松尾の神の御宣託があったことに由来しているという。

見所など
一の鳥居(大鳥居)
 阪急松尾駅の改札を出ると直ぐ左手に大きな朱塗りの「一の鳥居(大鳥居)」が見え、その横に『松尾大社』と刻まれた石柱が立てられている(左の写真)。

 鳥居には『松尾大神』と書かれた額が掲げられており、ここから奥が表参道になっているようである。
二の鳥居
 「表参道」を奥にむかって進むと、駐車場があり、その奥に朱塗りの「二の鳥居」(左の写真)が建てられている。

 「二の鳥居」は「一の鳥居」より若干小ぶりである。この鳥居にも『松尾大神』と書かれた額が掲げられている。
楼門
 「二の鳥居」をくぐると正面に「楼門」(左の写真)が見える。

 「楼門」は江戸時代初期の建造になるといわれている。当神社は二十二社に列せられ、それらの中でも皇室鎮護の神社になっていただけあって堂々とした楼門である。

 「楼門」の手前、社殿に向かって左側に「お酒の資料館」がある。ここには昔の酒造用具などが展示されている。
拝殿
 「楼門」をくぐり奥に進むと短い石段があり、その上に「拝殿」(左の写真)が見える。

 「拝殿」は江戸時代初期の建造といわれている。
御輿庫前の酒樽
 「拝殿」の南側には軒下に酒樽が積まれた「神輿(みこし)庫」(左の写真)が建っている。

 上述したように松尾大社は酒造の神様ということから、これらの酒樽は全国の酒造家より奉納されたものという。

 松尾大社の社殿の中で、この酒樽の陳列が目を引く。酒樽はある期間を経過すると更新積み直しされるようである。
釣殿、回廊、本殿
 「拝殿」の奥に「釣殿」、「回廊」があり、その奥に「本殿」が建っている。左の写真で中央に見えるのが「中門」、「釣殿」であり、両側には「回廊」が延びており、「釣殿」の奥に「本殿」の屋根が見える。

 「本殿」は切り妻造りに似た形で松尾造りと呼ばれている建築様式であるといわれているが、外からは確認することはできない。
回廊と本殿の屋根
 神社の本殿は、その全景を直接見ることができないところが多い。人が見るということは不敬ということにになるのだろうか。

 神社の本殿の屋根には鰹木と千木が付けられていることが多いが、松尾大社の「本殿」の屋根にはこれらが付けられていない(左の写真)。

 現存の「本殿」は応永4年(1397年)に建造されたもので、天文11年(1542年)に大規模な修理が行われたとされている。

 「本殿」重要文化財に指定されている。
釣殿正面  左の写真は「中門」から「釣殿」を正面から見たところであり、その造りは見事である。

 「中門」、「釣殿」、「回廊」などは江戸時代初期の建築といわれている。

 回廊の北側に庭園への入り口があり、ここを通り受付で拝観料を払って右折すると、松尾大社にある三つの庭の一つである「曲水の庭(平安風)」(直下の写真)が見える。

 この庭は松尾大社が最も栄えた平安時代を表現するといわれ、ここを流れている小さな渓流は松尾山中からの水が霊亀の滝を通ってきたものであり、この清流が七曲がりして山の麓を洗い、岩が点在する山からこれを見下ろす優雅な姿を表したものといわれている。
曲水の庭
 直上の写真で右端に写っている廊下を奥に進むと「宝物館」(直上の写真で中央やや右寄り奥に見える建物)に着く。

 宝物館に展示されている宝物の目玉は二体の「木造男神座像」と一体の「木造女神座像」であろう。三体とも等身大で平安時代初期の作といわれている。
特に面白いのは「木造女神座像」の表情である。例えば正面から見たとき、右側から見た横顔、下から見上げたとき、など像を見る位置によって女神の表情が変わって見えるのである。これは実際に見て体験しておきたい。

 二体の「木造男神座像」一体の「木造女神座像」は我が国最古の神像の一つとされており、重要文化財に指定されている。

 宝物館の壁には古文書を大きく引き延ばした紫色の字体の壁紙が一面に貼られているが、これはいただけない。

 「宝物館」の北側には松尾大社にある三つの庭の一つである「磐座(いわくら)の庭(上古風)」(直下二枚の写真)が拡がっている。
磐座の庭(1)
磐座の庭(2)
 現在の地に社殿が建てられる以前には松尾山中の頂上付近にある巨岩が信仰の対象になっていたといわれているが、古代の磐座を模して造られたのが、この「磐座の庭」であるとされている。

 直上の写真中央奥に見える二つの立った岩は祭神である男女二神を、他の岩は随従する諸神を表し、植えられている笹は高山の趣を表しているという。
神泉亀の井
 松尾山から流れた渓流が「霊亀の滝」となり、小さな渓流となって社殿群の間を流れているが、霊亀の滝の近くに「亀の井」と名付けられた霊泉(左の写真)がある。

 酒造家はこの水を持ち帰り、醸造時に混ぜて使うという。また、この水は長寿の水として知られているようで、多くの人がこの水を汲みに訪れているようである。


 ただ、このような地下水は霊泉といえども生水である。大腸菌など入っているのが普通であるから、生水での飲用不可という表示はないようであるが、煮沸しないで飲むのには衛生上如何なものであろうか。

 「二の鳥居」と「楼門」の間の参道北側に松尾大社にある三つの庭の一つである「蓬莱の庭(鎌倉風)」(直下二枚の写真)が拡がっている。
蓬莱の庭(1)
蓬莱の庭(2)
 鎌倉期に代表される回遊式庭園で、不老不死の仙界にあこがれる蓬莱思想を表しているといわれている。池泉の周囲を巡り、自ら仙界に遊ぶ境地になれば作庭家の心と鑑賞者の心が一致したときという。

 庭園の観賞というものは難しいものである。作者の意図、哲学は我々素人には理解できないことが多いが、難しい理屈を抜きにして、美しさを感じとることができればそれでいいのではなかろうか。

2003年5月28日更新
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Yukiyoshi Morimoto