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貴船神社へのアクセス |
京阪電鉄「出町柳」駅下車、叡山電鉄に乗り換える。叡山電鉄「出町柳」駅から鞍馬線「鞍馬」行きに乗車し、「貴船口」駅で下車する。「貴船口駅前」から京都バス(運行は春分の日から11月30日まで、冬期は運休)に乗車し、終点の「貴船」で下車、北の方向へ徒歩数分で貴船神社大鳥居前に着く。 貴船口駅から貴船神社までの道は登りであるが勾配は大きくなく、道も良いので徒歩で参拝する人も多い。駅から神社まで徒歩約30分。 また、鞍馬寺と地理的に近いこともあり、鞍馬寺の参拝後に山道を通り貴船神社に参拝したり、逆に貴船神社に参拝後、鞍馬寺に廻る人も見られる。 |
「貴船口駅前」発「貴船」行き京都バスの「貴船口駅前」発車時刻は次の通り(2003年9月現在)。運行は春分の日から11月30日まで、冬期は運休。 |
時 | 平日 | 土曜日・休日及び8/14〜8/18 |
09 | 50 | 45 |
10 | 10 30 50 | 00 15 30 45 |
11 | 10 30 50 | 00 15 30 45 |
12 | 10 30 50 | 00 15 30 45 |
13 | 30 50 | 15 30 45 |
14 | 10 30 50 | 00 15 30 45 |
15 | 10 30 50 | 00 15 30 45 |
16 | 10 30 | 00 15 30 |
「貴船」発「貴船口駅前」行き京都バスの「貴船」発車時刻は次の通り(2003年9月現在)。運行は春分の日から11月30日まで、冬期は運休。 |
時 | 平日 | 土曜日・休日及び8/14〜8/18 |
09 | 55 | 50 |
10 | 15 35 55 | 05 20 35 50 |
11 | 15 35 55 | 05 20 35 50 |
12 | 15 35 55 | 05 20 35 50 |
13 | 35 55 | 20 35 50 |
14 | 25 45 | 05 25 40 55 |
15 | 05 25 45 | 10 25 40 55 |
16 | 05 25 40 | 10 25 40 |
祭神、神徳 たかおかみのかみ 水を司る神様とされており、水は生物生育の元であり、欠かすことの出来ない御神霊とされている。 水の霊威は広大で、水の恩恵を被らぬものはいないことから、崇敬は全国一般におよんでいるというが、特に治水関係者、農家、醸造家、航海者、飲食業、その他水商売の人々の厚い信仰をうけているようである。 |
由緒、伝説 |
5世紀初め反正天皇の代、玉依姫が水源の地を求め、黄色い船に乗って淀川、賀茂川を遡り、この地にきて祠を建てたのが貴船神社の創建とされているようである。『貴船』は『黄色い船』に由来しているともいわれている。他に、神代の昔、玉依姫が貴船山に降臨し鎮座したのが神社の起源であるという伝説もあるらしい。何れにしてもこの辺りの話しは伝説にすぎず、詮索すべき問題ではなかろう。 創建の時期については明確ではないようであるが、今から約1300年前の白鳳6年に社殿の造り替えが行われたと伝えられているようであるから、創建はそれよりもはるかに昔のことと推測されている。 当初、「本社」は現在の「奥宮」(後述)の場所にあったとされているが、しばしば洪水にあい、天喜3年(1055年)に現在の場所に移されたという。 面白いことに、水を司る神様を祀っている神社が、しばしば洪水に遭遇したというのである。これはどういうことなのだろうか。 |
神社境内案内 |
貴船神社は本社、中宮(結社)及び奥宮の三社からなっている。三社の位置はアクセスの項に記載している地図及び直上の境内案内図(このコピーは中宮にある案内図掲示板を写真撮影し若干の修正をおこなったもの)に示す通りである。 |
本社の鳥居と南参道石段 |
貴船バス停から北の方向に道なりに数分間歩くと、道路左手に朱塗りの「二の鳥居」(左の写真)が立っており、ここから石段の参道がついている。 「一の鳥居」は叡山電鉄の貴船口駅の近くやや京都よりの場所に立てられており、「二の鳥居」からかなり離れた位置にある(アクセスの項地図参照)。 |
「二の鳥居」をくぐると本殿下の広場まで「参道石段」が続いている(左の写真)。写真でもわかるように参道の両側には朱塗りの「灯籠」がビッシリと立てられており印象的である。 貴船神社の写真ではこの構図が必ずといっていいほど出てくる。 |
この「灯籠」(左の写真)は春日灯籠といわれているものである。 |
本社 |
「参道石段」を登りきったところ、直ぐ左手に「御神木の桂」(左の写真)がある。 この御神木は樹齢400年、樹高約30mで、写真からもわかるように根元から多数の枝が伸び、上方で大きく拡がっている。 通常、御神木は杉などの常緑樹であり、落葉樹の桂が御神木になっているのは珍しい。 この桂の木は運気発祥の御神気が龍の如く大地から立ち昇っている姿を連想させることから、御神徳を象徴していると考えられ、御神木にされている所以はこれに基づいているという。 |
「御神木の桂」の傍、南側に「石庭」(左の写真)がある。 この石庭は古代の人が祭りを行った神聖な祭場「天津磐境(あまついわさか)」をイメージして昭和40年に造られた庭という。 この「石庭」に用いられている石は全て貴船で産出した名石とされている。 |
玉依姫が黄色い船に乗ってこの地にきたという伝説に因み、直上及び左の写真でもわかるように、庭全体が船の形に造られ、中は黄色い土が敷きつめられている。 舟形の石庭中央部に見られる木は椿の木(左の写真中央に写っている木)で、船のマストを表すと共に、神様が降臨される神籬(ひもろぎ)でもあるとされている。 |
「御神木の桂」の傍にある短い石段を上がると広場があり、広場の北側に「本社拝殿」(左の写真)が建てられている。 「拝殿」は本殿正面に向かって右側にずらして建てられており、文久年間(1861〜64)の造営といわれている。 |
「拝殿」の北側に「本社本殿」が拝殿に接して建てられている。左の写真で中央に屋根だけ大きく見えるのが「本社本殿」であり、右側に小さな屋根が見えるのは「権殿」である。 「本殿」も「拝殿」同様文久年間(1861〜64)の造営とされているが、それまでに数十回の造替が行われたという。文久年間の造営から現在までの間、大修理や屋根の葺き替えが行われているようである。 |
「拝殿」の前、広場の片隅に「神水」(左の写真)と呼ばれている湧き水がある。湧き水は背後の山から引いていると思われる。 おみくじを引き、それをこの神水に浸すとおみくじの紙面に字が浮き出てくる。勿論、「神水」ではなく普通の水でも浸すとおみくじに字が出るのは当然であるが・・・。「神水」は専らこの目的に使われていうようである。 |
本殿の石垣下の広場に「絵馬の像」(左の写真)がある。 昔から雨乞いの社として有名な貴船神社では、日照りには黒馬、長雨には白馬又は赤馬を時の天皇が献じて祈願するのが例になっていたという。時代が移るにつれ生馬に変えて「板立馬」が奉納されるようになったといわれ、この「板立馬」が現在の絵馬の原形とされているようである。 これらのことから、貴船神社は絵馬発祥の社としても知られている。 |
中宮(結社(ゆいのやしろ)) |
本社から北の方向へ道なりに進むと道の左側上に小さな社「中宮」(左の写真)の建っているのが見える。 祭神は縁結びの神として知られている磐長姫命(いわながひめのみこと)であり、縁結びを願う人は境内のススキを結んで祈願すると願い事が叶うとされている。 |
ただ、今ではススキを結んで祈願するということはなくなっているようで、結び文を結びあわせて祈願するのが普通となっているようである。 結び文は社殿の奥の決められた場所に結びつけられている(左の写真)。 この縁結びは男女間は勿論であるが、人と人との縁を結ぶにも霊験があるという。 |
中宮の境内に「天の磐船(あめのいわふね)」(左の写真)と呼ばれている船の形をした自然石が置かれている。 この石は長さ約3m、重さ約6tといわれており、貴船の山奥で産出したもので、この場所に移されたとされている。 船は人と人を結ぶ交通機関であることから、縁結びの信仰と関係があり、また、神様の乗り物として神聖化されていたようで、貴船神社と船との関係は深い。 |
平安時代の有名な女流歌人和泉式部は夫との仲がうまくいかなくなって貴船神社にお詣りした。その時、貴船川にとぶ蛍を見て自分の心情を歌に託して祈願したといわれている。 その時に詠んだ歌『ものおもへば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる』が彫られた「歌碑」(左の写真)が中宮の境内に建てられている。 |
奥宮までの参道 |
中宮(結社)から更に北の方向に進む道程の途中には左の写真に見られるような『和泉式部恋の道』と書かれた簡素な道標がある。 夫である橘道貞の愛を取り戻そうと思い悩んだ和泉式部が貴船詣を思い立ち、この道を通り当時本社であった奥宮に参拝したと伝えられている。 これが、奥宮への道が『恋の道』といわれるようになった由来とされている。 |
奥宮までの途中に「思ひ川」(左の写真)と呼ばれている小川がある。 かつて、奥宮が本社であった頃、この小川で体を清め参拝したという。和泉式部もここで身を清めたのであろうか。 この小川は禊ぎの川、物忌みの川だったのであるが、和泉式部の恋の話と重なり、何時からか「思ひ川」といわれるようになったとされている。 |
「思ひ川」を越え、更に北側に進むと、杉の老木が立ち並んでいる「参道」(左の写真)が貴船神社の「奥宮」まで続く。 この辺りに来ると、本社や中宮付近に見られた川床料理旅館などは見られなくなり、観光客も少なくなり、厳粛な雰囲気が漂っている。 |
奥宮 |
参道を進み杉木立の間をぬけると、朱塗りの奥宮「楼門」(左の写真)に行き着く。 楼門の内側が貴船神社の「奥宮」になる。 |
「楼門」をくぐると広場があり、広場の北側に奥宮の「拝殿」、更に北側に奥宮「本殿」(左の写真)が建っている。 奥宮「本殿」に祀られている祭神は本宮の祭神と同じ「たかおかみのかみ」である。 上述したように、神社創建から天喜3年(1055年)まで、ここに本社があったとされている場所である。 |
この本殿の下には大きな龍穴があり、物を落とすと、にわかに曇り空になり龍穴から激しく風が吹き上がるという言い伝えがある。 |
奥宮「本殿」の西南側に船の形に石垣を積んだ「船形石」がある。左の写真は「船形石」を縦位置から見たものであり、「船形石」の向こう側に屋根だけ見えているのが奥宮「本殿」である。 玉依姫がこの地にきた時に、乗った来たといわれている黄色い船を石で囲ったのがこの船形石と伝えられているが、これは単なる伝説であろう。 |
いまでも航海する際、安全祈願のため、ここの小石を拾って持っていく人が多いという。 左の写真は「船形石」を横位置から見たものである。 |
三社詣 |
貴船神社を訪れたときは、先ず、「本社」次いで「奥宮」に参拝し、最後の結びとして「中宮(結社)」に参拝するというのが「三社詣」といわれている参拝方法とされている。 |
2003年9月14日更新 |
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Yukiyoshi Morimoto