ホーム > 名神大社二十二社一覧 > 石上神宮 サイトマップ

石上神宮
(いそのかみじんぐう)
石上神宮へのアクセス
石上神宮所在地図
 JR桜井線「天理」駅又は近鉄天理線「天理」駅下車。駅前からバスが出ているが、バス停「石上神宮」を通る便は非常に少なく、殆ど利用価値はないので歩いた方が便利である。
 「天理」駅前から天理本通商店街を通り東の方向に進む。天理教本部の大きな建物を左手に見て、更に東進すると国道25号線に合流する。布留交差点で南の方向に向きを変え(右折)、数百メートル進むと石上神宮の標識が見える。駅から石上神宮まで徒歩約30分。

祭神、伝説

布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
 神武天皇が東征しながら、紀州熊野に来たとき土地の神の毒気にあたり、兵士が病気になり進めなくなったが、この時、平国之剣(くにむけしつるぎ)の霊威によって兵を進めることができ、国土平定がなされたという。そのときの剣とその霊威を布都御魂大神として祀ったものとされている。

布留御魂大神
(ふるのみたまのおおかみ)
 天璽十種瑞宝
(あまつしるしとくさのみづのたから)の起死回生の霊力を祀ったものとされている。

布都斯魂大神
(ふつしみたまのおおかみ)
 素戔嗚尊(すさのおのみこと)がやまたの大蛇を退治したときの天十握剣(あめのとつかのつるぎ)の霊威を祀ったものとされている。

由緒、伝説、神徳

 石上神宮は大神神社と共に日本最古の神社といわれているが、創始年代については諸説があるとされており、よくわからないらしい。信仰の対象とされたのは有史以前に遡るともいわれているようである。
朱印
 神武天皇が物部氏の先祖である宇摩志麻治命(うましまじのみこと)に命じ、平国之剣(祭神の項参照)を宮中に祀らせた。崇神天皇の代にこの剣を現在の場所に移し石上大神とし、王朝の軍事を司っていた物部氏の氏神としたと伝えられている。ただ、神武天皇などは伝説上の人物であると思われることなど、この話は伝説ではなかろうか。

 いずれにしても、以来、天皇家は刀剣などを奉納したとされ、神社は兵器庫の役目をはたしていたという。

 神徳は健康長寿、病気平癒、除災招福、百事成就とされているが、
月並みであり、神社の由緒、当初の役割からみて一寸意外な感じがする。
参道鳥居
鳥居

 県道51号線から別れてほぼ直角に東の方向へ神社の参道がつけられており、社殿に着くまでの間に「鳥居」が立てられている(左の写真)。

 鳥居の規模はかなり大きいが、造りは見た感じでは質素である。
放し飼いの鶏
放し飼いの鶏

 鳥居をくぐり更に東進すると楼門の手前に一寸した広場があり、ここにが放し飼いされているのが見られる。

 何故、鶏が放し飼いにされているのかよくわからない。鶏と祭神の間にはどのような関係があるのだろうか。
回廊と楼門
回廊

 鶏が放し飼いにされている社務所前の一寸した広場をすぎ、左手に朱塗りの回廊(左の写真)の見て緩い石段を上がると、楼門が見える。
楼門
楼門

 「楼門」(左の写真)は南向きに建てられており、「拝殿」への入口になっている。門の幅に比べ高さが高く、かつ屋根が大きいのでやや不安定な感じがしないでもないが、堂々とした造りである。

 「楼門」は鎌倉時代末期の文保2年(1318年)に建造されたものといわれており、重要文化財に指定されている。
拝殿(1)
拝殿、本殿

 「楼門」をくぐると堂々とした造りの「拝殿」が見える(左の写真)。

 「拝殿」がいつ創建されたかを明確に示す資料はないというが、建築技法から見て13世紀であろうと考えられているようである。
拝殿と本殿
 「本殿」は「拝殿」の奥側に建てられているが、左の写真に見られるように千木と鰹木がつけられた屋根のごく一部が見えるだけである。

「本殿」は大正2年(1913年)に建てられたものといわれている。それ以前は「本殿」がなかったわけで、「拝殿」の奥側に祭神である「平国之剣」(祭神の項参照)を埋め、土を盛り「高庭之地」と呼び立入禁止にして祀っていたという。

 現在でも拝殿の奥は石瑞垣で囲まれ、立ち入ることはできないようである。この場所には刀剣類をはじめ神社の神宝を保管している神庫が建てられている。
拝殿(2)
 左の写真は「拝殿」を東南側から見たものであるが、写真中央やや左寄りに見える松の木(拝殿正面右寄りに植えられている)は、2000年3月には生木であったが2001年10月には枯れ木になっていた。原因は松食い虫の被害なのか、水涸れによるものなのかよく分からない。

 「拝殿」国宝に指定されている。
摂社建雄社
 出雲建雄神社

 楼門前の石段を上がると左手に石上神宮の摂社の一つである「出雲建雄神社」が建っている(左の写真)。

 約1300年前、布留川上流で雲が立ちのぼり、雲の中に天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の霊を座した神剣が光を放って現れ『今この地に降り諸民を守る』と宣言し、ここに鎮座したという。従って、祭神は天叢雲剣の霊威であり出雲建雄神と称し祀られているようである。

 神宮の祭神は剣の霊威であるが、この摂社の祭神も剣の霊威である。

 これらのことと、石上神宮は刀剣などの武器庫の役割を持っていたとする神社の歴史とは無関係ではないと考えられる。
建雄社拝殿(1)
出雲建雄神社拝殿

 楼門前の石段を上がると右手に「石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿」が建っているのが見える(左の写真)。

 この「拝殿」は、かつて、天理市にあり、廃寺となった内山永久寺の鎮守社拝殿を大正3年(1914年)に移築したものとされている。
建雄社拝殿(2)
 「拝殿」は細長い建物で、左の写真に見られるように、「拝殿」中央部が土間で建物をくぐり抜ける通路になっており、これが大きな特徴とされている。

 この拝殿が建立された年代については明確ではなく諸説があるが、正安2年(1300年)が妥当とされているらしい。但し、石上神宮発行のパンフレットには保延3年(1137年)と記載されている。

 「石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿」国宝に指定されている。

所蔵の文化財

 石上神宮に所蔵されている文化財として有名なものに、国宝に指定されている「七支刀」がある。これは刀身の左右に三本ずつの枝が交互に出ているもので4〜5世紀に造られたものとされている。この「七支刀」は秘宝であり、公開されていない。
名神大社二十二社一覧のページへ戻る このページの先頭へ戻る

Yukiyoshi Morimoto