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平野神社へのアクセス 京福電鉄北野線「北野白梅町」駅で下車、駅の東側の広い通り(西大路通)を北の方向へ徒歩10分弱。 JR「京都」駅から京都市バス[205]系統(西の京円町・金閣寺道行)又は[50]系統(立命館大学前行)に乗車し「衣笠校前」で下車、北の方向へ徒歩約3分。 阪急京都線「河原町」駅から京都市バス[205]系統(洛北高校・北大路バスターミナル行)に乗車し「衣笠校前」で下車、北の方向へ徒歩約3分。又は[203]系統(西大路四条・北野白梅町行)に乗車し「北野白梅町」で下車、北の方向へ徒歩10分弱。 京阪「三条」駅から京都市バス[10]系統(北野天満宮・山越行)に乗車し「北野白梅町」で下車、北の方向へ徒歩10分弱。又は[15]系統(御池通・立命館大学前行)に乗車し「衣笠校前」で下車、北の方向へ徒歩約3分。 |
祭神、神徳 今木神(いまきのかみ) 第一殿に祀られている祭神で染織手芸の守護神とされている。 久度神(くどのかみ) 第二殿に祀られている祭神で竈(かまど)・台所の守護神とされている。 古開神(ふるあきのかみ) 第三殿に祀られている祭神で斎火の守護神とされている。古開神と久度神は同一ともいわれている。 比賣神(ひめかみ) 第四殿に祀られている祭神で光仁天皇の皇后高野新笠姫で神を奉斎する女性。炊ぐことを庶民に教えた神とされている。 |
由緒 平野神社は延暦13年(794年)に桓武天皇の命により、現在の地に上記四柱の祭神が祀られたことに始まるといわれている。 平安遷都に際し、桓武天皇の生母、高野新笠姫を中心として大陸文化を導入したのが平安京の都造りに大いに貢献した功績をたたえ、祀られたともいう。 創始以来、皇室の崇敬あつく、天元4年(981年)に円融天皇がはじめて行幸して以来、歴代の天皇が行幸し、その数は少なくなかったといわれている。 |
鳥居、参道、楼門 境内東側に立っている大きな「鳥居」(直上の写真)をくぐると「参道」が「楼門」(左の写真)まで伸びている。 鳥居は鮮やかな朱塗りで大きく派手、楼門は質素で落ち着きのある造りになっている。 ただ、上記アクセスに従って神社を訪問すれば、西側から境内に入ることになるので、この鳥居はくぐらない。 |
拝殿 楼門をくぐると直ぐ眼前に「拝殿」(左の写真)が建っているのが見える。 「拝殿」は「接木の拝殿」として有名であるといわれているが、その謂われはよく分からない。 拝殿内には寛文年間(1661〜1673年)に海北友雪が描いたとされている三十六歌仙の絵が掲げられている。 |
本殿 祭神の項にも記述したとおり、「本殿」は四棟からなっている。 左の写真は四棟の「本殿」を「拝殿」横から見たものであり、直下の写真は四棟の「本殿」の内の一棟を近くから撮影したものである。 本殿は東向きに建てられており、本殿、拝殿、楼門、境内東側の鳥居は直線上に配置されている。 |
「本殿」は慶長3年(1598年)と慶長9年(1604年)に再建されたものとされ、「平野造り」又は「比翼春日造り」と称せられており特異な造りであるといわれ、重要文化財に指定されているが、どのような部分が特異な造りなのかは素人にはよくわからない。 本殿に向かって右側、拝殿の北に当たる場所に、枝垂桜の木があり、季節には見事な花をつける(直下の写真)。多くの参拝客がこの桜を背景として記念写真を撮影している。 |
桜園 平野神社は桜の名所として知られており、特に夜桜は有名である。現在、境内には五百本余の桜の木が植えられている(左及び直下の写真)。 平安神宮に植えられている枝垂桜はこの桜園にある枝垂桜(上の写真の枝垂桜とは異なる)の苗を移したものといわれている。 寛和元年(985年)に花山天皇が4月の桜の咲いているときに祭りを行ったことから、桜の名所として有名になったというが、一方、花山天皇が桜の木を自ら手植えしたことがこの場所を桜の名所として有名にしたという説もあるようである。 |
その他、平野神社について |
上述したとおり、平野神社は格式の高い神社であるが、観光情報誌等には殆ど採り上げられておらず、桜の花の咲く季節を除き、参拝者も近くにある北野天満宮に比べてはるかに少ないようである。勿論、桜の季節には北野天満宮よりも参拝者が多くなる。 北野天満宮があまりにも有名で、観光地化しているため観光客としての意識が北野天満宮に集中しているためと思われる。 |
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Yukiyoshi Morimoto