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関西花の寺第十二番
大澤山 久安寺
(きゅうあんじ)


所在地及びアクセス:

 大阪府池田市伏尾町697

 阪急宝塚線「池田」駅下車。府道113号伊丹池田線をわたると阪急バス「池田」(西)停留所がある。この停留所3番のりばから、系統[26]及び[136]「牧」行きか「久安寺」行き、又は系統[131]「伏尾台センター」行きに乗車し、「久安寺」停留所で下車する。バス乗車時間は約15分間。
 系統[132]及び[133]の「伏尾台センター」行きに乗車した場合は、「吉田橋」停留所で下車し、そこから久安寺まで歩くことになるが、国道423号線は大型車両の通行が激しく、危険を伴うので利用は勧められない。

 「久安寺」で下車すると一寸した広場(駐車場になっている)があり、そこから西側に入る道があるのでそれを進むと直ぐ久安寺の本坊前に着く。
 本坊前の参道を左折すると「楼門」があり、右折すると拝観料を支払う受付がある。

 池田発のバス時刻(8時〜18時の間について久安寺行き又は久安寺を通る阪急バス)は下記の通り(2015年6月現在)。なお、バスの時刻は変更されることがあるので、利用される場合は確認のため阪急バスの伏尾台営業所(TEL:072-752-9211)又は豊能営業所(TEL:072-739-2002)に問い合わせて下さい。
平 日 土曜日 日曜日・祝日
8 15 33* 55 15 35* 55 15 35* 55
9 15 30* 15 30* 55 15 30* 55
10 00# 30* 15 30* 15 30*
11 00# 30* 00# 30* 00# 30*
12 00# 30* 00# 30* 00# 30*
13 00# 30* 00# 30* 00# 30*
14 00# 30* 00# 30* 00# 30*
15 00# 30* 00# 30* 00# 30*
16 00# 10 30* 50 00# 30* 00# 30*
17 10 30* 50 00# 30* 00# 30*
無印:久安寺行き、*:牧又は希望ヶ丘4丁目行き(途中、久安寺を通る)、#:久安寺経由伏尾台4丁目行き

縁起:
朱印
 当寺は神亀2年(725年)に行基菩薩によって開創されたと伝えられている。その後、天長年間に弘法大師によって再興されたといわれ、当時の「安養院」が当山の前身とされている。

 久安元年(1145年)に賢実上人が楼門、金堂、塔、坊舎などの伽藍を建立し「久安寺」と称するようになった。

 江戸中期には歌人平間長雅が当寺に在住し、観音信仰の布教が盛んに行われたようで、元禄の中興により諸堂、坊舎の体裁が整ったという。

境内諸堂配置
境内諸堂配置図
 左の図は久安寺の諸堂配置図である。図中「A」は駐車場であり、池田から来たバスの停留所はこの場所にある。

当寺の花:

1.主たる花
  牡丹(見頃は5月上旬)
  紫陽花(6月)
   (右の写真)
楼門前の紫陽花

2.その他四季の花
  春:つつじ
  秋:紅葉(11月)
     (右の写真)
仁王門横の紅葉

見所など:
楼門(1)
 交通量の非常に多い国道に面して「楼門」(左の写真)が建てられている。

 門には金剛力士像が安置されているが、奥の方に配置されており前方が広くとられている。桁行きの反りは大きく梁行きの反りは小さい。このような建築技法は他に殆ど例を見ないといわれており、最も美しい楼門と評価されているという。
秋の楼門
 左の写真は直上の写真とほぼ同じ位置から秋に撮影した「楼門」である。

 写真でもわかるように楼門正面左側にある黄色に紅葉した銀杏が鮮やかである。
楼門(2)
 左の写真は「楼門」を正面近くから見たものであるが、写真からも分かるように楼門の前は鉄製の柵で閉鎖されており、参拝客は「楼門」を通って境内に入ることはできない。「楼門」に向かって右側の小さな門から境内へ入ることができるが、ここは駐車場やバスおりばからは一寸離れた場所にあり、この小さな門を通って境内へ入る人は殆どいない。

 「楼門」は室町時代初期の建築と推定されており、重要文化財に指定されている。
寺名を彫った石碑
 「楼門」の前、右側に『久安寺』と彫られた石の標識(左の写真)が建てられている。

 上述のように「楼門」を通ることはできないが、かつては人々はここを通って参拝に訪れたことと思われる。ただ、この前を通っている国道423号線の交通量は半端でなく、大型の車両の通行が激しく、交通事故を避ける意味から「楼門」前を閉鎖したものと思われる。
楼門内側の参道
「楼門」から北の方向に向かって本坊前まで参道がついているが紅葉の季節以外はこの参道は人影が少ない。

 左の写真は紅葉の季節の参道である。写真中央奥に見えるのは「楼門」内側である。
本坊前参道
バス停及び駐車場から境内に入る最短の道は本坊前に通じている参道(左の写真)である。写真に写っている正面の建物が本坊である。

 本坊前を右折すると拝観料を支払う受付がある。左折すると上述の「楼門」の内側に着く。
御影堂近景
 受付で拝観料を支払って奥に進むと直ぐ左手奥に宝形造りの「御影堂」(左の写真)が見える。

 「御影堂」には弘法大師が祀られており、明治時代末に金堂の東にあった大師堂をこの場所に移築したものという。
三十三所堂
 「御影堂」に近接してその北側に長い建物「三十三所堂」(左の写真)が建てられている。写真でその奥に屋根だけ僅かに見えているのが「阿弥陀堂」である。

 「三十三所堂」は法事が行われる場所であり、「阿弥陀堂」は文化財の収納施設にあてられているようである。

 「阿弥陀堂」には「阿弥陀如来坐像」が納められている。この仏像は久安寺の塔頭安養寺の旧本尊と推定されており、平安時代後期の作と考えられている。この「阿弥陀如来坐像」は重要文化財に指定されている。
本堂
 受付前を真っ直ぐに北の方向に進むと左手に鐘堂が建っている広場がある。広場の北側に灯籠と石段があり、石段を上がったところに「本堂」(左の写真)が建てられている。

 本尊は後一条天皇の勅願により仏師定朝の作になる千手観音であるが秘仏になっている。この本尊には行基菩薩感得、聖武天皇勅願の仏像が胎内仏として納められているという。
秋の本堂
 左の写真は秋の季節の「本堂」であり、本堂正面右側にある銀杏の黄色が鮮やかで美しい。
本堂前の紫陽花
 左の写真は本堂前の広場から本堂へ上がる石段の西側(本堂に向かって左手)にある小さな池の傍に咲いている紫陽花である。
腰掛石
 本堂前広場の東側、鐘堂の傍に腰掛石(左の写真)がある。

 この石は境内の「あ字山」にあったもので、秀吉が月見の時に座したとか、歴代の高僧がここに座り境内や諸堂を眺めたのではないか・・・と想像することもできるとか。
薬師堂
 本堂前広場の東側にある参道、両果の道を越えてその東側に「薬師堂」(左の写真)が建てられている。

 「薬師堂」は東側を正面としている「阿弥陀堂」(上述)に対面して西側を正面としている。ここには「阿しゅく薬師如来立像」が安置されており、仏教徒が諸活動のできる会館になっている。
柏葉紫陽花
 受付から北に向かう参道で「薬師堂」の南側に、柏葉紫陽花(カシワバアジサイ)(左の写真)が植えられている。
薬師堂横の紫陽花
 左の写真は「薬師堂」前の広場の南側に植えられている紫陽花である。写真の背景に見えてるのは「三十三所堂」の屋根である。
紫陽花近写
 一寸面白い配色の紫陽花の花を「薬師堂」前広場南側で見たので撮影したのが左の写真である。

 「薬師堂」前の広場の北側に菩提樹の木が植えられており、6月の初旬〜中旬に花を咲かせ独特の芳香を放つ。直下の二枚の写真は菩提樹の花である。

 釈迦が菩提樹の木の下で悟りを開いたといわれているが、釈迦が悟りを開いたのはインド菩提樹でクワ科の木であり、日本で菩提樹といわれているのは中国原産のシナノキ科の木である。両者は異なっており、インド菩提樹は日本では屋外で育たない。日本の僧侶が中国の天台山に植えられていた菩提樹を葉の形がインド菩提樹に似ているところから、これを日本に持って帰り菩提樹として育てたのが今の日本の菩提樹といわれている。
菩提樹の花(1) 菩提樹の花(2)

 「本堂」の東側から北に向かって金堂跡(現在は舎利殿涅槃堂が建てられている)まで参道が延びている。この参道は「両果(りょうが)の道」と呼ばれている。
両果の道
 左の写真は「両果の道」であり、この道をはさんで西側(写真左手)には「バン字池」を、東側(写真右手)には「あ字山」を配する「虚空園(こくうえん)」とよばれている庭園が拡がっている。ここは瞑想する仏の世界を具現した曼荼羅の庭とされている。
本堂裏虚空園
 「バン字池を配した虚空園」は本堂の北側に拡がっている。

 左の写真はバン字池の北側から「バン字池を配した虚空園」を通して「本堂」の裏側を見たものである。写真左端に見えている池中の浮座は大日如来の座という。
本堂裏の紅葉
 左の写真は「本堂」北側にある虚空園傍から本堂裏側に向かって秋に撮影したものであるが、紅葉の季節には虚空園池畔にある楓が見事に色づいている。

 直下の写真は「本堂」の北側で両果の道の西側にある「バン字池」を配した「虚空園」であり、庭園の東側から撮影したものである。当寺の主な花である牡丹は季節になるとこの庭園に咲く。この庭は荒木芳邦氏の作である。
虚空園とばん字池
行基菩薩像
 「両果の道」を北に進み「虚空園」を過ぎたあたり、やや奥まった左手に「行基菩薩の像」(左の写真)を見ることが出来る。

 行基は縁起の項にも記載した通り、当山の開創と伝えられており、仏教を民衆に説き文殊菩薩と呼ばれ尊ばれたといわれている。

 像は柔和な表情をしており、菩薩と呼ばれた行基の人柄を想像することができる。この像は行基菩薩の1250年忌に際し、平成10年秋に建立された。

 「行基菩薩の像」の前、「両果の道」を隔てて東側に「地蔵堂」が建てられており、「地蔵堂」に近接して東側に「ナツツバキの木」(直下左の写真)が植えられている。ナツツバキは6月中旬〜7月中旬には花を咲かせる(直下右の写真)。

 ナツツバキは沙羅双樹と呼ばれていることも多いが、沙羅双樹はフタバガキ科の木であり、ナツツバキはツバキ科の木で両者は異なったものである。沙羅双樹は釈迦が亡くなったとき近くに生えていたとされている木であるが、日本の気候では育たない。これはある僧侶が沙羅双樹は日本にもある筈と考え、山の中を探したところナツツバキを見てこれが沙羅双樹と思い込んで世に広めたのが両者を同一視した起源になっている、という説がある。
沙羅の木 沙羅の花
地蔵堂付近の紅葉
 左の写真で右端に写っている堂は「地蔵堂」であるが、写真でもわかるように紅葉の季節になるとこの付近のは見事に色づく。
地蔵堂裏の紅葉
 左の写真に見られるように、特に「地蔵堂」裏側(北側)の楓は深紅に彩られる。また、この楓は地蔵堂の北側にある朱雀池に紅葉を映すがこれも素晴らしい。
舎利殿般若堂遠望
 「両果の道」を北に進むと道の北端にあるパゴダ風石造りの「舎利殿涅槃堂」(左の写真)に行き着く。ここはかつて金堂のあった場所とされている。

 この「舎利殿涅槃堂」にはお釈迦様入滅時(涅槃)の石像と遺骨(仏舎利)が祀られている(後述)。また、墓を持たない人の納骨合祀所ともなっているようである。
朱雀池傍の紫陽花
 「舎利殿涅槃堂」の手前を左折し、緩い坂を登ると霊園があるが、霊園の手前から南東側の「両果の道」傍にある朱雀池に向かって多くの紫陽花が植えられている(左の写真)。
舎利殿涅槃堂傍の紫陽花
 「両果の道」の北端あたりにも数多くの紫陽花が植えられている。左の写真はその一部である。写真背景の建物は建設中(2005年7月の撮影)の「舎利殿涅槃堂」である。
舎利殿涅槃堂
 左の写真は「舎利殿涅槃堂」をすぐ前から撮影したものである。正面の石段を上がり突き当たりの障壁を左に曲がると一寸した広場になり
、その奥に「舎利殿涅槃堂」の入口がある。堂内へは自由に入ることが出来る。
釈迦無尼佛
 「舎利殿涅槃堂」に入ると正面に大きな石造りの釈迦涅槃像(左の写真)が安置されているのが見える。お釈迦様入滅時、釈迦牟尼佛の穏やかな尊顔が拝観できる。涅槃像の奥側にも参拝通路があり、そこには多数の仏像が祀られている。

 久安寺の境内は広大であり、四季を通して花が咲いており見所は多い。特に「虚空園」に花の咲く季節と秋の紅葉は素晴らしい。

2005年7月9日新規収載
2015年6月17日最終更新
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