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関西花の寺第四番
 西天目瑞巌山 高源寺
(にしてんもくずいがんざんこうげんじ)


所在地及びアクセス:

 兵庫県丹波市青垣町檜倉514

 JR福知山線「柏原
(かいばら)」駅下車。駅前の神姫グリーンバス「柏原(かいばら)」バス停から「佐治」行きに乗車し、終点で下車する(バス乗車時間:約50分)。西の方向に進み、左手に青垣中学校を見て国道427号線に合流し、道なりに進むと国道の左手に高源寺駐車場が見える。駐車場から高源寺まで約3分。「佐治」バス停から徒歩約40分。

 かつては、高源寺の傍まで行けるバス便があったが、その路線が廃止された。現在は下記に示すとおり、「柏原」から「佐治」行きのバスを利用することになるが、バスの運行回数は極めて少なく、しかも、特に平日のダイアは参拝に不向きな時間帯に設定されており、ほとんど利用価値はない。仮にバスを利用したとしても、バス下車後からの徒歩に要する時間が長く実用的ではない。

 実際のアクセスとしては自家用車によるか、タクシーを利用することになると思われる。

 「柏原」から「佐治」行きの神姫グリーンバス「柏原」発の時刻は次の通り(2014年10月1日改正、2014年11月現在)。なお、利用に際しては時刻変更の有無について、グリーンバス篠山(Tel:079-552-1157)に確認されることをお勧めします。
       分
 平  日   土、日、祝日 
7    22    59
8
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15    10
16    15
17    23    40
18     
19     00  

 「佐治」から「柏原」行きの神姫グリーンバス「佐治」発の時刻は次の通り(2014年10月1日改正、2014年11月現在)。なお、利用に際しては時刻変更の有無について、グリーンバス篠山(Tel:079-552-1157)に確認されることをお勧めします。
       分
 平  日    土、日、祝日
7    05     05
8       48
   
10    
11     
12     
13        20
14     
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16        30
17     30  
18    10   
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縁起
朱印
 高源寺の開祖、遠谿祖雄は佐治郷山垣城主、足立遠政の孫である光基の三男で、19歳のとき出家し徳治元年(1306年)21歳のとき中国に渡り、杭州天目山の中峰明本のもとで10年間修行したとされている。帰国したとき母の訃報に接し、悲しみのあまり筑前府中の岩窟に約10年間とどまったという。後、遠谿祖雄は正中2年(1325年)に故郷に帰り、佐治郷小倉の地に堂宇を建てたといわれており、これが当寺の創始とされている。

 嘉暦元年(1326年)には後醍醐天皇より高源寺の名称が与えられ、その後、後柏原天皇の代には勅願寺になったとされており、隆盛を極めたようである。

 当寺は天正年間(1573〜92年)に織田信長の兵火に遭い、堂宇は全て焼失したというが、享保年間(1716〜36年)のはじめ22世天岩明啓が一部再興に着手し、更に29世弘巌玄猊が柏原藩主の援助により堂宇の建設を手がけて本格的に再興し、寛政11年(1799年)に現在の寺観になったといわれている。

境内諸堂等配置図:
諸堂等配置図

当寺の花:

1.主たる花
  紅葉(右の写真は紅葉の一例)
   見頃は11月上旬〜11月中旬


2.その他四季の花
  春:つつじ
  夏:紫陽花
  冬:椿
境内の紅葉

当寺の通称:丹波のもみじ寺

見所など:
境内入り口
 バス停から道標に従って進むと『高源寺』と彫られた石碑がが立てられているのが見え、その奥に簡素な造りの「惣門」(左の写真)がある。この「惣門」が境内への入口になっているようである。

 写真に見えている石段の手前には特産品販売所「もみじの館」があり季節になると当地の名産品を販売している。
惣門から山門までの参道
 「惣門」をくぐると緩い石段の参道が続いている。秋の季節には参道の両側にある楓の並木は見事に紅葉する(左の写真)。
無縁仏の墓
 「惣門」をくぐり緩い石段の参道を進むと左手に墓石を山のように積み上げた(左の写真)が見える。

 この墓は非常に印象的である。おそらく無縁仏を葬っている墓と思われるが、高源寺の関係者に聞いたわけではないので確証はない。
山門
 奥に進むとやや急な石段があり、石段を上がったところに「山門」(左の写真中央)が建っている。

 写真では分かりにくいが「山門」の白い塀には五本の線が入っている。これには天皇の勅願寺院の意味があるといわれている。
山門(内側)
 「山門」を内側から見たのが左の写真である。

 この「山門」は寛政2年(1790年)頃当寺を再興した弘巌玄猊禅師により建立されたものといわれ、紫鳳楼とも呼ばれている。門というよりも腰高の堂といった様子の、一見不安定な感じの建物である。
山門二階の仏像
 「山門」の二階には釈迦坐像と十六羅漢像が安置され(左のコピー:高源寺発行のパンフレットより)、天井には弘巌玄猊による四天女図と梅花経文図が描かれているという。

 「山門」を外から見る限りこのような仏像が安置されているようには見えない。
仏殿
 「山門」をくぐると短い石段がありその奥正面に当寺の本堂である「佛殿(法王殿)」(左の写真)が建てられている。

 「佛殿」は享保4年(1720年)頃、天巌禅師により建立されたという。
仏殿内
 「佛殿」内正面(左の写真)には伝恵心僧都作といわれている当寺の本尊、釈迦如来坐像が祀られている。

 ただ、正面の直接拝観できる仏像は見た目には新しいようで、実の本尊ではなくお前立ちと思われる。

 また、衣を着用した後醍醐天皇の法身の像も安置されている。
幽霊もたれの松跡
 「山門」をくぐって直ぐ左手に「幽霊もたれの松」と名付けられた場所がある(左の写真)。

 今から三百年ほど前、京都に住む植西定張の娘定子が非業の死を遂げ幽霊になった。父定張は幽霊になった定子を伴って当寺の桐州明潮禅師を訪れ仏法を聞いているとき、定子が松にもたれて風光と霊気にうたれていた、という伝承の松がこの場所にあったといわれている。勿論この話は単なる説話であろう。

 今はその松の木はないが、写真でもわかるようにその場所に小さな石仏が置かれている。
心字の池
 「佛殿」の東側に水たまりのような小さい池がある(左の写真)。

 この池は最初、永正14年(1517年)に智傳禅師によって造園されたといわれているが、戦火で荒廃、その後、天巌禅師が造園を計画し、弘巌禅師によって完成されたという。かつて、この池は当寺の庭園の中心をなし、「心字池」といわれたいたらしいが、現在、残っているのはその一部にすぎないようである。
幽霊水鏡の橋
 「心字池」にはその上に架かっている石の小さい橋「幽霊水鏡の橋」(左の写真)がある。

 幽霊定子が父の植西定張に伴われ、当寺の桐州明潮禅師の許しで入定しようとしたとき、自分の姿をこの橋の上から心字の池に映して眺めていたといわれている。以来、この橋は幽霊の心事を偲ぶ橋とされている。
方丈遠望
 「佛殿」の横を奥の方に進むと幅の広い石段があり(左の写真)、これを上ると一寸した広場がある。この場所に「方丈」、「開山堂」、「納経所」などが建っている。
方丈
 左の写真は「方丈」であるが、当寺では庫裡も兼ねている。

 「方丈」の中の開山堂には、当寺を開山した遠谿祖雄禅師、中興の弘巌禅師の像が安置されている。

 当寺は勅願所であることから、後円融、後柏原、後水尾、後鳥羽、桜町、霊元など各天皇の御宸筆が所蔵されているようである。
天目楓(1)
 高源寺の楓は三丹地区随一といわれているが、楓は当寺を開山した遠谿祖雄禅師が中国杭州の天目山より種を持ち帰り、この地に植えたものといわれており、天目楓とよばれている。天目楓は葉が小さく切れ目が深いのが特徴である。

 左の写真は「方丈」の前の広場にある天目楓の紅葉である。
天目楓(2)
 左の写真で左寄りに見える木は「方丈」の西側に植えられている典型的な天目楓であり、その大きさから見てかなりの樹齢を重ねた木と思われる。
三笑橋
 「方丈」前の広場の西端に「三笑橋」(左の写真)と名付けられた小さなコンクリート製の橋が架かっている。

 当寺を開山した遠谿祖雄禅師ら三人の法師が中国の虎谿で虎の鳴く声を聞いて大笑いしたという故事に基づいて「三笑橋」と名付けられたという。

 「三笑橋」の下の渓谷は虎谿泉といわれているが、増水期以外は殆ど水が流れていないようである。
三重塔
 「三笑橋」を渡るとちょっとした広場があり、そこに「三重塔(多宝塔)」(左の写真)が建っている。

 この塔は寛政2年(1790年)頃、弘巌禅師により建立されたといわれており、輪蔵と名付けられる建て方という。

 「三重塔」の中には経文が収められているようである。また、天井には弘巌禅師の名筆が描かれたというが、今では跡を残すのみらしい。
三重塔本尊
 塔の中には左の写真に見られるように、三重塔本尊としてインドの毘須鳩摩の作とされる金佛、「開運毘沙門天」が安置されている。写真からも推測できるように像としては大きなものではない。

 この本尊は近郷の崇拝が厚く、特に元旦の夜間のお詣りが有名という。
三重塔本尊近景
 本尊「開運毘沙門天」を近写したのが左の写真である。

 眼を大きく見開いた顔面から怒の表情が伝わってくるが、左手の形などから見て必ずしも怒りだけとは受け取れない何かがある。何れにしても、ある種の圧迫感で迫ってくるものが感じられる仏像である。
三重塔遠望
 「三重塔」の裏側から下り坂の細い道がついている。この道を下る途中に「三重塔」が木々の間から見える場所があるが、紅葉の季節には左の写真にあるように常緑の山を背景にして建っている塔に紅葉が映え見事な風景を見ることができる。

 上述したように、高源寺は三丹随一の紅葉の名所といわれているだけあり、最盛期には寺域は黄色〜赤色に包まれる。

最終更新日:2014年11月21日

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