ホーム > 関西花の寺めぐり > 金剛院 サイトマップ

関西花の寺第三番
鹿原山 慈恩寺 金剛院
(かわらさん じおんじ こんごういん)
所在地及びアクセス:

 京都府舞鶴市鹿原

 JR小浜線「松尾寺」駅下車(小浜線の運転頻度は1時間に1便乃至それ以下、下記の時刻表参照)。南の方向へ少し進むと国道27号線(丹後街道)に出る。国道を西の方向約1.2km歩くと金剛院口交差点(信号がある)があるので、そこを左折し南東の方向に約1km進むと左手に金剛院が見える。JRの駅から金剛院まで徒歩約30分。
 東舞鶴駅から便数が非常に少ないが京都交通バスを利用することもできる。東舞鶴駅前から高浜方面行きのバスに乗車し、「鹿原」で下車する。「鹿原」バス停は金剛院口交差点のすぐ傍にある。バス停から金剛院まで徒歩約15分。


 金剛院参拝の際、利用できる公共交通機関、JR小浜線及び京都交通バスの「東舞鶴」発時刻を下表に示す。何れも8時〜17時の間について記載した。両交通機関とも平日、土曜、休日何れも発車時刻は同じである。
  JR小浜線「東舞鶴」駅発車時刻
(東舞鶴発敦賀行き)
 8:55
11:06
13:39
14:34
15:34
16:42
2018年10月現在
(平成30年3月17日改正)
>
 京都交通バス「東舞鶴駅前」発車時刻
(東舞鶴駅前発高浜駅前行き)
 
 8:45
12:05
15:55
2018年10月現在
(平成26年5月12日改正)

縁起:
朱印font color="#000080">
 鹿原山金剛院は天長6年(829年)に平城天皇の第三皇子高岳親王によて創建されたと伝えられている。

 高岳親王は第52代嵯峨天皇の皇太子でもあったが弘仁元年(810年)に廃太子し、出家して法名を真如と称し空海の教えを受け当寺を開創したとされている。その後、親王は貞観4年(862年)に83歳の高齢の身で入唐し、更にインドに渡ろうとしたが、途中で消息を絶ったという。

 親王が当寺を去ってからは寺は荒廃したが、永保2年(1082年)に波切不動明王を若狭の国から勧請され本尊とし、第72代白河天皇の勅願によって復興し、慈恩寺の寺号を賜ったと云われている。更に、第74代鳥羽天皇の皇后の保護を受け隆盛し全盛期を迎えた。

 当山は皇室の庇護を受け、また、江戸時代には田辺藩主の保護を受け、戦国動乱や天災にも耐えて現在に至っている。

 『紅葉の錦おりしく鹿原山 古き仏の道求めてむ』

境内堂宇等配置図:
金剛院境内配置図

当寺の花:

主たる花:
 紅葉(右の写真)
  11月上旬〜中旬
紅葉と三重塔

見所など:
山門
 左の写真は金剛院の「山門」である。「山門」は思ったよりこじんまりしていて作りは簡素である。

 山門を入ると広場があり、広場の東側には本坊と思われる建物が見える。山門を入ってすぐ右折すると東南の方角に参道が延びており、これを進むと本堂をはじめとする堂宇に達する。
榧の木
 「山門」くぐってすぐ右折すると「本堂」に向かう参道があるが、その参道の途中左手に榧の大木(左の写真)が見える。

 この榧の木は樹齢千年以上といわれ、「千年榧の木」と名付けられており、金剛院を創建した高岳親王によって植えられたと伝えられている。

 この榧の木は樹22m、幹周5.3mの巨木で自然200選(植物部門)に選定されている。
三重塔までの参道
 「山門」から「本堂」の下までの参道は左の写真に見られるように、秋の季節には紅葉した楓が参道を見事に彩っている。
三重塔
 「山門」から「本堂」に向かって参道を約170m進むと、「三重塔」(左の写真)に着く。

 季節になると、この「三重塔」周辺の紅葉はきれいに色づく。塔はこの場所よりも南側の小川を隔てた鹿原公園から見た方が紅葉に調和し映えて見事である。鹿原公園から見た「三重塔」の写真は、上述の『主たる花』の項に記載した。

 現存の「三重塔」は室町時代に再建されたもので、二代目に当たり、建てられてから約500年経過している。塔の起源は永保3年(1083年)に当寺の創建者である高岳親王(真如法親王)の追善供養のために白河天皇によって建立されたものといわれている。

 この「三重塔」の総は24mで、各層の間隔を狭くして軒を深く見せた巧みな構造で、落ち着いた感じがする。塔は正式には「金剛院塔婆」と呼ばれているようで、重要文化財に指定されている。
五重塔の初重内に祀られている真如像
 この「三重塔(金剛院塔婆)」の初重には当寺の創建者である「高岳親王(真如法親王)の像」(左の写真)が祀られている。

 写真でもわかるように、ギョロッとした異様なまでに大きい目が印象的である。
本堂に向かう石段
 「三重塔」の西側から、長くかなり急な石段(左の写真)がついており、石段を上りきった所に本堂が建てられているのが石段下から見える。

 石段の山腹一帯は沢山の楓が林を形成しており、紅葉の季節には見事に色づく。山腹の楓は細川幽斎の植樹と言われている。

 今ではこの周辺は住宅が建ち並んでいるとは云え、静かな場所である。平安時代、高岳親王(真如法親王)がこの地を見出した時は、まさに静寂そのものが支配する深山密教の世界だったに違いない。
本堂正面
 左の写真は石段をほぼ登り切った位置から見た「本堂」の正面である。
本堂
 左の写真は「本堂」である。

 「本堂」に安置されている本尊は波切不動尊で、海難除け、病気平癒、火難、水難等災難を除く仏として信仰されている。本尊に関しての詳細は上述の縁起の項に記載した。

 本尊、波切不動尊は秘仏であり直接の拝観は出来ないが、そっくりに複製されているというお前立ちがあり、これは直接拝観できる。
本堂前から見た三重塔と紅葉
 「本堂」はかなり高い場所に建てられているので、そこから「三重塔」を見下ろすことが出来る。左の写真は紅葉した楓の木立で、木立の間から「三重塔」が見える。
本堂内から見た紅葉
 寺の人は、『本堂の中から見た紅葉が最もきれいです』という。左の写真は「本堂」の中から見た紅葉情景である。その評価は人それぞれであろうが、確かに遠くの山が背景になり紅葉が映えて見えるのは確かである。
雲山閣
 「本堂」から西側に向かって渡り廊下が延びており、その先に「雲山閣」(左の写真)が建てられている。写真でもわかるように「雲山閣」は斜面に建てられた舞台造りで、建物自体は古い感じはしない。築後あまり年月を経過していないのだろう。
鐘楼
 「本堂」の東南側に「鐘楼」(左の写真)がある。普通によく見られる形状のもので、その由来等についてはよくわからない。
宝物館
 「山門」をくぐって直ぐ左手やや奥まったところに「宝物館」(左の写真)が建てられている。

 この「宝物館」は見た目に新しく、建てられたのはそう古くはないと思われる。ここは午前9時〜午後4時の間開館しているので、拝観料を払えば拝観可能である。館内には重要文化財に指定された何体かの仏像等、寺宝が多数保管されているので拝観、見学しておく価値はある。

 「宝物館」に保管されている仏像等、重要文化財として:
  木造阿弥陀如来坐像、平安時代後期
  木造多聞天立像、平安時代後期
  木造増長天立像、平安時代後期
  木造執金剛神立像、鎌倉時代、快慶作
  木造深沙大将立像、鎌倉時代、快慶作
  木造金剛力士立像2体(吽形像及び阿形像)、鎌倉時代
  絹本著色薬師十二神将像、室町時代

2012年2月24日新規収載
関西花の寺めぐりのページへ戻る このページの先頭へ戻る