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商品としてのウンコとオシッコ

 かつて、ウンコやオシッコが商品として取り引きの対象になっていた時代がある。

 硫酸アンモニウムや硝酸アンモニウムのような化学肥料が販売されだしたのは昭和20年代であり、それまでは農家にとって必須の肥料は人間の大小便や牛など家畜の糞に頼っていた。当時、農家では自家製造分の大小便だけでは必要量を確保できないところもあり、不足分は買い求めていた。
農民のイメージ
 従って、農家の人は都市部の非農家にウンコを買いに行くのが普通であったが、非農家からウンコを買い取り、田舎の農家まで運んで売り、その差額で利潤を得ていた仲買人も居たわけで、昭和20年代初めまでは牛にひかせた大型の荷車に多数の肥桶を積んで運んでいるのを見ることが出来た。

 この仲買人は江戸時代や明治時代にはかなり稼いでいたらしい。

 江戸時代の長屋では大家(長屋の所有者が大家である場合は少なく、大家は所有者から給金をもらっている管理人であるのが普通であった)が、店子(借家人)のウンコやオシッコの始末をする権利(義務ではない)を持っていたようである。

 大家は当然、店子のウンコなどを農家に売る仲買人の役をしたのである。10-20戸の長屋で大家の収入は年間30両程度になったといわれている。店子には1銭も渡らないのが普通であり、大家のまる儲けであった。このウンコ収入は、大家が長屋の所有者からもらう給金が年間20両程度であったというから、如何に大きなものであったかがわかる。

 明治22年に大阪市議会に「大阪市の糞尿処理事業を大阪市営にする案」が提出されたといわれている。農民に汲み取らせていた大阪市民のウンコなどを、大阪市が汲み取り、農民に売って儲けようという案である。つまり、大阪市がウンコの仲買人になろうというのである。見積もりでは年間8万円程の収入になる予定だったらしい。当時の市の平職員の年収が250円程度であったから、かなりの収入が期待できたわけである。

 ただこの案は議会で議決されなかったようであるが、詳細については知らない。
案山子のイメージ
 たかがウンコ、オシッコであるが、考え方一つでこれだけ稼げたのである。

 最近、「無農薬有機栽培」と銘打った野菜や果物が市場に出回っており、あたかも高級清浄な食品であるがごとく宣伝し、消費者もそのような受け取り方をしているが、これは正しいことなのだろうか? それに有機栽培ということがそんなに有り難いことなのだろうか? 殺虫剤を使わず害虫を箸で一匹一匹つまみ取り、肥料にウンコを使った純正の「無農薬有機栽培」はかつて行われていた方法であり、これを思い出してしまう。勿論、現在の有機栽培にはウンコなどを肥料にしていないであろうが・・・。

 最近は、資源保存の意味からリサイクルが盛んであるが、ウンコも資源の利用の観点から立派な有機肥料になる。こうなると廃棄処理に莫大な金をかけることが何となく無駄な気がするのである。

 ウンコの中にバクテリアを入れ、臭いの発生物質を分解させ、無臭の含窒素有機化合物に変化させる。加熱し、水分を除き粉末状とすれば見た目にもきたなくはない。このような働きをするバクテリアの研究を誰かおこなっているのだろうか。

 尤もこんな考えは、現状では勘定に合わないであろうが、将来を見据えれば極めて重要な意味を持っているのではなかろうか。
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Yukiyoshi Morimoto