ホーム > 排泄にまつわるお話 > 「せっちん」の由来・・・ サイトマップ

「せっちん」の由来について考える

 現在では殆ど死語になっているが、トイレの別称に「せっちん」という言い方がある。「せっちん」については、数多いトイレの別称のなかでも比較的由来が明らかになっているほうであるとされているが、それでも幾つかの説がある。
僧侶
(1) 雪竇禅師(せっちょうぜんし)が中国浙江省の雪竇山霊隠寺で便所の掃除をつかさどったという故事から。

(2) (1)と同じであるが、雪竇禅師ではなく、福建省福州の雪峯義存禅師であるとする説。

(3) 霊隠寺というお寺にトイレの掃除の大好きな雪という和尚がいた。和尚の名前の「雪」と寺の名前の「隠」をとって雪隠という言葉が生まれた。

(4) 雪隠寺というお寺の雪宝和尚がトイレで悟りをひらいたということから。

(5) トイレの別名として「西浄」というのがある。これの読み方には「せいじょう」、「せいじん」、「せいちん」などあるが、「せいちん」がなまって「せっちん」になった。

(6) 中国ではかつて、青椿を便所のそばに植えて覆い隠したことから、トイレを青椿(せいちん)といったが、「せいちん」がなまって「せっちん」になった。

 上記、(1)から(4)までは細部の違いを無視すれば殆ど同じ説であり、起源は何れも中国である。「雪隠(せついん)」がなまって、「せっちん」になったという。ただ、トイレの掃除という点から見れば、それぞれ微妙に違いがあるのは興味深い。即ち:

 (1)及び(2)は「便所の掃除を司った」となっており、自ら直接掃除したとは限らない。

 (3)は「便所の掃除が好き」となっているから、自分から進んで掃除した。

 (4)は「便所で悟りを開いた」であり、掃除とは直接関係がない。


 (1)は広辞苑に書かれているものであり、最も一般的な説である。しかしながら、一般的なものは必ずしも正しいとは限らない。
辞典表紙
 我が国では「雪隠」は事実上死語であり、実際に用いられることは殆どない。にも拘わらず、殆ど全ての国語辞典に収載されているのである。「雪隠」は中国から渡来した言葉であるというが、一般に市販されている中国語辞典に「雪隠」は記載されていない。中国ではトイレの表現に「厠」乃至は「厠のつく用語」が最も多く、その他、洗手間、盥洗室、茅房など、希に、浄房、便池が使われているようであるが、雪隠は使われていないようである。

 「雪隠」発祥の地とされている中国で、「雪隠」が辞典にも書かれていないのは何故だろうか?

 (5)を支持する理由は明確ではない。無難な考え方だから、というこでこの説を支持する人もいるらしいが、そうだとすればかなり非科学的な考えであると言わざるを得ない。

 (6)の説にある「青椿」は、広辞苑によると「葉の色が青々とした椿」とあるが、その実体は不明である。椿の木がトイレを覆い隠す木として適切であろうか。椿の木を生け垣としている家を見かけても、それは希である。隠す意味ならば「ウバメガシ」や「カイズカイブキ」などの方がはるかに適切である。「ウバメガシ」や「カイズカイブキ」などは当時の中国になかったのであろうか。

 それよりも、中国人のトイレ観は、我々日本人と違い、おおらかであり特に覆い隠す意図はないのが普通である。当時の社会情勢では特にこのことが言えるであろう。

 現在、「雪隠」は「雪隠詰め」、「雪隠大工」などトイレのことを直接表現しない比喩的な言葉として使われている。これらは日本で造語されたものであると考えられる。国語辞典に「雪隠」が記載されているのは、「雪隠」はこれら比喩的表現の元になっていることによるものかもしれない。

 それにしても「雪隠」という字面は何となくトイレを連想させるのである。どうみてもうまく出来過ぎている感じがする。

 「せっちん」に極めて類似する言葉に「せんち」がある。「せんち」は「せっちん」がなまったものとされているが、実はこれは逆なのではないだろうか。また、「せっち」という方言もあるが、これなど随分古くから日本にあった言葉らしい。

 「雪隠」は本当に中国から来た言葉なのだろうか?
排泄にまつわるお話のページへ戻る このページの先頭へ戻る

Yukiyoshi Morimoto