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トイレの落書きで人の性格を分類

 2009年8月15日の毎日新聞夕刊に『人間は2種類 落書きで“解明”』というタイトルの記事があり、それによると、人は『自己主張型』と『他人攻撃型』の2つに分類されるという。これはドイツのボン大学院生(女性)の修士論文に書かれたもので、根拠となるものは大学内にある約40ヶ所の女子トイレに書かれている落書きの分析に基づいているようであり、この論文は貴重な学術資料として注目されているという。

 そもそもこういった落書きの分析、特にトイレの中の落書きが修士論文のテーマとなり得るのか、という問題はあるにしても、個人の際物的調査資料として見るのならともかく、新聞の記事からだけでは情報不足で即断することはできないが、はたして真に貴重な学術的資料として扱われる価値のあるものだろうか、という疑問が起こるのである。

 論文では『自己主張型』は自分の思いをひたすら主張するタイプであり、『他人攻撃型』は自分の意見はないのに他人の欠点だけ指摘し批判ばかりするタイプである、と述べているようである。

 トイレの落書きは恋愛や性の話しが圧倒的に多いと書かれているが、何もこれはドイツに限ったことではなく、世界中共通であり、男性用、女性用を問わず落書きの常識、実態でもある。ただ、新聞に書かれている具体的な落書きの例は圧倒的多数を占める性の話しは取り上げられておらず、少数派に属するものが取り上げられているが、これは当然であるにしても、多数派の意見でない分、議論としては弱いものになってしまっている。
落書き(1)
 さて、人間は上述したように二つのタイプに分類することができるというが、この分類そのものに疑問があると思う。

 『自己主張』と『他人攻撃』とは対極にあるものとは思えない。自己主張が嵩じると、自分の主張に合わない意見を持つ他人を攻撃することになるのは我々日常目にすることであって、両者は分離分類されるべきものではない。自己主張と他人攻撃は本来、一体なのである。

 修士論文では『他人攻撃型は自分の意見はないのに他人の欠点だけ指摘し批判ばかりする人』ということになっているようであるが、「欠点を指摘して批判する」ということは、明らかに自分の意見を持っているということに他ならず、全く何も考えない人は他人を批判することすらできない筈である。

 ここで実際の落書きについて考察してみたいが、トイレの中の落書きは前述したようにここに紹介することはできないので、一般的な落書きを取り上げてみたい。
落書き(2)
 落書きの例として右に二つの写真を示した。

 上側の写真に示した落書きは他人攻撃型の典型であろう。しかし、この落書きを書いた人は明らかに自分なりの判断基準を持っていて、これを基に他人を攻撃している。つまり自己主張が嵩じた結果の他人攻撃と見なすことができる。

 下側の写真に示した落書きは私にとって意味不明である。最近はこのての落書きがやたらと多い。私から見れば、こんなものは自己主張になっていないように思えるが、案外書いた本人は芸術家気取りになっているようでもあり、それなりの自己主張しているのかもしれないが、我々に訴えてくるものが何もない点、自己主張型とは言えない代物である。

 落書きを一般的な観点から見ると、上述のように人の性格を単純に二つに分類して考えることに無理があるというべきであろう。更に、ここでは例示することはできないが、公衆トイレの中の落書きを見られた方は『トイレの中の落書きは自己主張とか他人攻撃とかの範疇に入れられるようなものは殆んどない。それらの落書きを上述のように分類すること自体ナンセンスである』というように考えるのが自然であろう。

 落書の分析が、特にトイレの中の落書きを分析することが貴重な学術資料になるというのならば、トイレの中において落書きする人の心理状態について際物的にならない踏み込んだ議論がほしいのである。

2009年8月25日新規収載
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