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現在社会にも「公人朝夕人」は居る?

 何時だったか時期は忘れたが、あるTVクイズ番組で「江戸時代の公人朝夕人(くにんちょうじゃくにん)とはどのような仕事をする人か」という問題が出題された。また、広辞苑にも「公人朝夕人」の項があるので、意味を理解している人は多いかもしれない。
竹林のイメージ
 江戸時代のこと、将軍や殿様がお側付き用人に向かって「公人朝夕人(くにんちょうじゃくにん)を呼べ」と仰せられることがしばしばあった。

 呼ばれた「公人朝夕人」はかなり太い竹筒をうやうやしく捧げ持って将軍や殿様の前に現れる。将軍や殿様はその竹筒を袴の裾から差し入れ、竹筒の中におもむろにオシッコをする。竹筒の切り口は革などを巻いてあり、将軍や殿様の一物が損傷を受けないように工夫されていたらしい。

 「公人朝夕人」はオシッコの入った竹筒を頂き、捧げ持って退席し、その始末をした後、次のお呼びがあるまで竹筒の監視をしながら控えていたという。「公人朝夕人」は将軍や殿様が城にいるときよりも、駕籠などに乗って外出するときには、特に重要な役割として重宝されていたようである。「公人朝夕人」とはこの仕事のためにのみ存在していた役職なのである。

 仕事自体は忙しいとは思えないが、将軍や殿様の体内から直接出るものを扱うという意味からか、役職としては決して位の低いものではなかったといわれている。
出張のイメージ
 TVクイズ番組を見ていたとき、司会者が「現在では考えられない役職だ」、というようなことを言っていたが、実は現在社会にも「公人朝夕人」が居るのではないか、と思ったのである。勿論、今はオシッコを入れる竹筒など持ち歩く人なんて居ない。しかし、一見しただけでは分からないが、よく考えると発想の原点が「公人朝夕人」の仕事と本質的に同じである人々が多数居ると思われてならない。

 江戸時代の「公人朝夕人」と現在の「公人朝夕人」と大きく違う点がある。
江戸時代の「公人朝夕人」は世襲制であり、誰でもなれる役職ではなく、父親が「公人朝夕人」であればその長男は嫌でも「公人朝夕人」の職を継がなければならなかった。現在の「公人朝夕人」は、なりたければ心がけ次第で誰でもなれるのである。はっきり言って現在の「公人朝夕人」は始末が悪い
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Yukiyoshi Morimoto