ホーム > 排泄にまつわるお話 > 儀式としての検便 | ![]() |
我が国における検便の目的は、かつては消化管中の寄生虫の有無を知るためであったのが、最近では潜血検査即ち、大腸など下部消化管の腫瘍の検査となり、目的が変化してしまった。 現在の日本で、寄生虫卵の検査に的を絞った検便は行われているのだろうか? 小学校の児童を対象に、接着剤のようなものが着いたプラスチック様の膜状のものを肛門に触れさせ、それを顕微鏡か何かで検査するようなものがあり、これを検便と称しているふしがあるが、明らかに表現が誤っている。これは正統な寄生虫卵の検査ではない。 |
![]() 先日、TVで、現在でも大人を対象に検便が行われているという報道がなされていた。 福井県小浜市には、年一回天皇にカレイを献上する習慣があるようである。極上品のカレイを5時間ほど干した後、献上のための式典を行い、送るらしいが、これの関係者は全て事前に検便するという。 このことは、小浜市の保健所に聞いて確認したが、保健所としては強制していることではなく、関係者が自主的に実施していることに、協力しているだけと言う。 誰でもわかることであるが、こんな時の検便は全く無意味である。皇室信仰の昔からの発想からきているものと思われ、正に儀式の一環として行われているにすぎない。 |
検便華やかなりし頃の実態はどうだったのか。 |
![]() 昭和20年代は小学生や中学生には検便が強制されており、指定された日は、小さいマッチ箱にウンコを入れて学校に持って行ったものである。 真面目に自分のウンコを持って行く人もいたが、男子生徒の多くは、ジャンケンに負けたものが多量のウンコを持ってきて(どのような方法で持ってきたかは省略)、これを皆で分けて、あたかも自分のウンコを持ってきたような顔をして提出したものである。 検査結果が無茶苦茶で、製造元が同じであるのに拘わらず、「お前は虫がわいてる」、「お前は虫がない」であった。何回かこんな方法でウンコを提出したが、不思議なことに、その結果は何時も大体50/50であった。このことは殆ど全ての人が、寄生虫を持っていたことを意味している。 しかしながら、上述のような結果が出ると、子供は検便検査を信用しなくなってしまう。「こんな検査はおかしい」というようなことを言ったら、インチキがばれて怒られるから、誰も言わなかったが、先生はこれを知っていたと思われるふしがあった。 固相の中に固体が分散している系を観察しているのであるから、上述のような結果は当然予測できる。 実は、この時代から、検便は単なる形式、儀式であることを皆が、子供ですら理解していたのである。その証拠に、全ての児童生徒が駆虫剤を飲まなければならなかったのであり、大きな抵抗もなく飲んだのである。 このような検査の目的は、小さくは家庭、大きくは地域社会などの集団の衛生状態を知り、適切な対策を講ずることであるから、個人を対象として検査結果を云々すべきではない。従って、例えば、検体も便槽等から採取すべきだったのだろう。 しかしながら、何故か、開発途上国では、個人を対象としたような検便が今でも真面目に行われているとのことである。 |
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Yukiyoshi Morimoto