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厠と川屋と「こうや」

 便所を表す言葉として現在では「トイレ」が最も普通であり、日本語として一般に認知されている。これに対し、日本的な表現方法の一つに「厠(かわや)」がある。これは現在では殆ど見ないが、昭和20年以前は広く使われていた言葉であり、特に昔の日本の軍隊では公式の用語であった。

 中国では街の公衆便所には「公共厠所」の表示があり、「厠」の字が使われているのが普通のようである。このことからも、
厠の字自体は中国から来たものであることは容易に推察できるが、「厠」を何故「かわや」と発音するようになったのであろうか。
川のイメージ
 「かわや」の語源は「川屋」である、と多くの本に書かれている。川や海の上に小屋を建ててそこで排泄行為をおこない、排泄物を川や海に流す風習からきているというが、この風習が熱帯地方には今でも残っているらしい。もっともらしいが、あまりにも単純過ぎる発想ではなかろうか。

 「トイレ」のことを「コウヤ」とも言う。「トイレに行く」ということを「コウヤに行く」とか、特に和歌山県北部では「コウヤ参りする」などと言う。

 「コウヤ」は高野、即ち和歌山県にある有名な霊場「高野山」のことである。高野山とトイレとの間にはどの様な関係があるのか。

 一説によれば、高野山の僧侶は髪を剃ることから、髪を落とす、転じて紙を落とす、ということで、「トイレ」のことを「こうや」というようになったという。この説に従えば、なにも「こうや」でなくてもよいのであり、例えば、同時期には比叡山にも多くの僧侶が居たのであるから「トイレ」のことを「ひえい」というようになってもよかったのである。

 また、昔は紙は貴重品であり、一般庶民がトイレで尻を拭くのに紙を用いたことは考え難い。事実、明治時代でも、田舎では一般には尻を拭くのに藁を用いていたということを祖父から聞いたことがある。

 それにしても
「こうや」と「かわや」は発音がよく似ているのである。

 以下、和歌山県高野町に対して失礼になるかもしれないが、行きがかり上、話を進めることにしたい。
山のイメージ
 昭和20年代後半-30年代の最初までは、高野山には川の上でウンコやオシッコをするようなトイレがあって、私も使用した経験がある。正に天然の水洗便所であるが、日本国内では高野山以外でこのような形態のトイレが昭和20年代に存在したということを耳にしたことがない。川の上でウンコする風習は高野山の長年の歴史に裏打ちされたものであった。

 また、「コウヤのクソ流し」という言い回しもあり、これに関連し、かつては「有田川の鮎はよく太っている」という通説もあった。確かに和歌山県の有田川は有名な鮎釣り場であった。因みに有田川は高野山に源流を発している。


 ウンコやオシッコは当時、肥料として貴重であり(別ページ「商品としてのウンコとオシッコ」参照)、川に流してしまうようなことは特に農家にとっては考えられなかったことと思われる。

 高野山は弘法大師(空海)によって、弘仁7年(西暦816年)に開創された真言密教の聖地であり、昔から多くの人が訪れた場所である。「厠」という語は、高野山開創の時期に中国からもたらされたと考えられ、排泄物を川に流すような勿体ない行為は、高野山独特のもので、人々の関心を引いたことと思われる。世の注目を集めたその場所を「こうや」というようになり、これが転じて「かわや」となったと考えるのは間違っているだろうか。
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Yukiyoshi Morimoto